鎌倉時代に発達した
農業技術
より多くの収穫を求めた地頭
鎌倉時代、各地にあった貴族や寺院が私有する
農地「荘園」を実際に管理・支配していたのは、鎌倉幕府が荘園を管理するため置いた武士の
「地頭」(じとう) でした。

地頭は治安維持と税である米の徴収を行い、
「地頭給田」(じとうきゅうでん) と呼ばれる
田んぼからの収穫が地頭の収入になりました。
そんなことから、地頭は収入向上のために
農業技術の向上に力が注がれ始めました。
鎌倉時代に発達した農業技術とは

まず、水車や溜め池、水路などの
「灌漑設備」が整い、
水田が広がっていきました。

牛馬を使って耕すようになったのもこの頃で、
より広く早く効率的に農作業を行うことが
出来るようになりました。

鍬 (くわ)・鋤 (すき)・鎌 (かま)・鉈 (なた) といった
農工具を作る鍛冶の仕事もこの時代に生まれ
ました。

それまで種籾を田んぼに直接まいて
稲を育てる方法から、
苗まで育てた上で「田植え」を行う方法へと
進化しました。
更に成長の早い「早稲」(わせ) という稲も
品種改良されて誕生。

肥料も発達し、草や木の灰や腐葉土、
あるいは家畜や人間の屎尿を発酵させた
「堆肥」を用いるようになったのも
鎌倉時代からでした。
こうした農業技術の発展により、
鎌倉時代に「二毛作」が始まりました。
二毛作(にもうさく)
二毛作とは
「二毛作」とは、同じ田や畑で
1年の間に2種類の異なる作物を
連続的に栽培する農法を指します。
日本では多くの地域が
夏には「稲」、冬には「麦」を作るのに
適した気候になっているため、
春・夏に「稲」を育て、
収穫が済むとその田んぼで
秋・冬から春にかけて「麦」を育てており、
これを「二毛作」と呼ぶようになりました。

鎌倉時代に始まった「二毛作」
鎌倉時代、農業技術の格段に向上により、
春には田んぼへ水を引き入れ、
夏に苗を植えて稲を育て、秋に刈り取った後、
水を抜いて畑とし、麦の種を蒔いて育て、
春に収穫するという
「二毛作」が可能となりました。
まず西日本で広がった
特に人口の多い畿内や西日本では、
(牛馬や人糞を微生物が分解した)堆肥が
手に入りやすかったこともあり、
「二毛作」が普及しました。
そして春に植え秋に収穫する稲を「表作」、
その後秋から栽培する麦を「裏作」として
収穫量を大きく増やすこととなりました。
室町時代には関東にも普及
室町時代に入ると、
「二毛作」は関東地方にも伝わり、
米・麦といった作物が、
商品として売られるようになり、
商業の発展へと繋がりました。
稲・麦以外も
後に稲の「裏作」として、麦の他にも
菜種や豆、イグサといった作物が作られ
多彩に発展していきました。
更に地域によっては、
気候に合った作物を選ぶことで、
「三毛作」以上の多毛作なども
可能になりました。
二毛作の利点
生産性の向上
「二毛作」では、
同じ畑で2回の収穫が行われます。
農地の有効活用によって、限られた農地でも
より多くの作物を生産出来るため、
生産性が向上します。
森林破壊や生態系への影響を軽減

新たな農地の開墾を減らすことで、
森林破壊や生態系への影響を軽減することにも
繋がります。
環境に優しい

「二毛作」では、
「裏作」で植える作物によっては、
病害虫被害のリスクを分散出来るので、
農薬の使用量を削減し、環境に優しい農業を
実践することが可能となります。
肥料や水の利用効率向上

「二毛作」の「表作」と「裏作」で
栽培する作物を使い分けることにより、
土壌の栄養が均一になるため、
肥料の効果を最大限に活用出来ます。
また夏の高温期に
肥料を多く必要とする作物を栽培することで、
効果的な肥料の利用が可能となります。
同様に降雨量の少ない冬期に
水量をあまり必要としない作物を選ぶことで、
水の節約にも寄与します。
二年三毛作
(にねんさんもうさく)
「二年三毛作」とは、同じ田や畑で
2年かけて3つの作物を栽培する方法です。

例えば「米」→「麦」→「大豆」の場合は、
1年目の春に「稲」を植え、秋に収穫。
すぐ「麦」を播種し、2年目の夏に収穫。
すぐ「大豆」を播種し、晩秋から初冬に収穫。
2年目の冬は休耕し、3年目は1年目に戻る…。

土地の利用効率を高め、多様な食料を
供給することが出来るだけではありません。
「二年三毛作」では、稲や麦の藁や根など、
大量の有機物を土に返すことで、
連作による障害を抑え、
更に地力を高めることが出来ます。

つまり「二年三毛作」は、
土作りを同時に行う持続的な技術なのです。