表通りにある大商家では、
出入りの職人に頼んで、店先で餅を搗いて
もらいました(引摺り餅)が、
一般に餅を求めるには、
餅屋(餅菓子屋)に前もって注文しておくか、
餅搗きに出向いて搗いてもらいました。
この餅を「賃餅」(ちんもち) と言います。
今でも年末になると、店の前に
「賃餅のご注文を承ります」という貼り紙を
貼り出すところもあります。
餅は正月に必需品であったことから、
かなりの需要があったようで、
餅屋(餅菓子屋)は餅搗きの人材を雇い入れて
対応しました。
手が回らない場合は、
「舂米屋」(つきまいや) という今のお米屋さんに
手配する場合もありました。
書き入れ時 (かきいれどき) は、
普段は別の仕事をやっている人達が、
ちゃっかりバイトとしてをやっていたケースも
相当あったのではないかと思われます。
一方、江戸近郊の農家にとっても
「賃餅搗き」はいい収入源となったようです。
「暮れの賃餅搗き」といって、
年の暮れになると、
注文を受けて「賃餅」(ちんもち) を搗きました。
頼まれて餅を搗いて持って行くだけでなく、
「晦日餅」(みそかもち) といって、
12月30日に餅を搗いて、
31日に江戸の町に売りに行ったりもしました。
また知り合いの餅菓子屋などに泊まり掛けで
賃餅を搗きに出掛けて行く人も
少なくなかったようです。
毎夜、夜中の12時頃起こされては、
翌日の昼頃までに搗き上げるという
大変キツイ仕事だったそうですが、
手間賃が良かったので、
時間をやり繰りしても出稼ぎに行ったそうです。