1年の終わりの月である12月は
別名「果ての月」と言われ、
「果ての二十日」(はてのはつか) とは
12月20日のことで、
身を慎んで災いを避ける「忌み日」として
正月準備や祝事を控えたり、
山に入ることを避けて、
静かに過ごす日であると伝えられています。
これには、諸説あります。
江戸時代、京の都の入り口の
粟田口 (あわたぐち、左京区) には刑場があり、
「果ての二十日」には、
年内最後の罪人の処刑が行われていました。
その命を忌み慎むという意味から、
この日は、一切の仕事を止めて外出を避け、
静かに過ごす日という過ごし方が守られてきた
という説があります。
罪人は、首を斬られる前に一つだけ
最後の願いが聞き入れられていましたが、
町衆はそのことを恐れて、
家族が目を付けられないように、
特に女の子の外出を控えさせていたという
説もあります。
一方、奈良県や和歌山県の紀伊半島の山中には、
一年に一度、12月20日の「果ての二十日」に
「一本ダタラ」という妖怪が出没し、
人を取って食べるという伝説が残っています。
「一本ダタラ」は一つ目で一本足の妖怪で、
熊野では雪の上に幅1尺(約30㎝)程の
足跡が残っていると、
この妖怪の仕業とされました。
ただ外へ出ずに、家の中にいれば
大丈夫だと言われているからでしょうか?
西日本では、現在でも、12月20日に山仕事へ
出掛けることを避けるという風習を
受け継いでいる地域があるそうです。
高野山と熊野神社を繋ぐ熊野古道小辺路のある
「果無山脈」(はてなしさんみゃく)は、
「果ての二十日」には人通りが無くなるので、
「ハテナシ」という地名になったと
言われています。
「タタラ」という名称の由来には
諸説あります。
例えば「巨人」を意味するという説があります。
「一本ダタラ」が出没する所は、
古くから修験道の修行の場で、
一心不乱に修行に打ち込んで鬼気迫る
修験者の姿を妖怪と見間違えたというもの
です。
「たたら製鉄」に由来するという説も
あります。
「タタラ製鉄」は、
古墳時代には日本に伝来していた製鉄方法で、山や川、海から採れる砂鉄を原料とし、
木炭の火力を用いて鉄を精製します。
タタラ師(鍛冶師)は、
1400℃以上の火力を維持するために、
昼夜を通して数日間、片足で鞴 (ふいご) を踏んで
大量の風を送り込むという重労働のため、
足を患う方も多かったようです。
また、火の様子も観察しなれけばいけないため、失明する方も少なくはありませんでした。
その重労働で片目と片脚が萎えた鍛冶師に
なぞらえたという説です。
日本神話に登場する製鉄・鍛冶の神、
「天目一箇神」(あめのまひとつのかみ) の
落ちぶれた姿とも考えられています。
「天目一箇神」(あめのまひとつのかみ) の
「目一箇」(まひとつ) は「一つ目」を表し、
鍛冶師が鉄の温度を見るのに
片目をつぶって見ていたことや、
火の粉を受けて目を失明するということからも
「一つ目」は鍛冶職人の象徴とされています。『古事記』では「天津麻羅」(あまつまら) といい
「天岩戸」において、 須佐之男命の乱行で
石屋に籠った天照大御神を外へ出すために、
鏡の作成に携わった鍛冶の神とされています。