
毎月5日は「水天宮」の縁日です。
12月5日は一年最後の縁日であることから、
「納めの水天宮」と呼ばれ、
古いお札を納め、
一年の無事を感謝する日でもあります。
総本宮
福岡県久留米市にある「水天宮」が
総本宮です。
「水天宮」は、
「壇ノ浦の戦い」から辛くも生き残った、
建礼門院に仕えていた女官、 按察使局伊勢 が
筑後川の辺り鷺野ケ原に逃れ来て
建久元(1190)年に初めて水天宮を祀ったことに
始まります。
伊勢は後に剃髪して名を千代と改め、
周辺の民に請われ加持祈祷等を行ったところ、
霊験あらたかであったため、
尊崇するものが日増しに多くなり、
尼御前と称えられるようになったことから、
当初「水天宮」は「尼御前神社」と
呼ばれました。
文政元(1818)年9月、9代藩主有馬頼徳 (よりのり) が
江戸・三田の久留米藩江戸上屋敷に
領地久留米にあった「水天宮」の分霊を
勧請したのが「江戸の水天宮」の始まりです。
明治元(1868)年、
有馬邸が青山に移ると共に青山へ、
更に明治5(1872)年現在地に移りました。
水天宮の御祭神
水天宮には四柱の神様がお祀りされています。
天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)
『古事記』に登場する、
天地開闢の際に最初に現れたとされる
日本の最高神です。
日本の神々の祖先神であり、
安産・子授けの神様としても信仰されています。
安徳天皇(あんとくてんのう)
高倉天皇と建礼門院の皇子として
お生まれになり、
3歳にして第81代天皇に即位されました。
寿永4(1185)年、8歳の砌 (みぎり) 、
祖母の二位の尼に抱かれ、
壇ノ浦にその身を海中に投げられました。
御祭神の安徳天皇と玉江姫 (たまえひめ) の
恋物語の由縁から、
水天宮の御神紋は椿になりました。
建礼門院(けんれいもんいん)
父清盛、母時子(二位の尼)の間に
お生まれになり、
18歳で第80代高倉天皇の中宮となられました。
養和元(1181)年)院号を与えられて
「建礼門院」と称するようなりました。
壇ノ浦の合戦後は、平家一門の菩提を
弔いました。
二位の尼(にいのあま)
平清盛の正室で、御名を時子と申されます。
清盛の死後出家し、従二位に叙せられたので、
「二位の尼」(にいのあま) と呼ばれます。
壇ノ浦の戦いで平家が滅亡した際、
安徳天皇を抱いて入水されました。
御利益

「水天宮」は、
水にゆかりの社として海運守護神となり、
河童伝説との結びつきも伝えられ、
信仰を集めました。
九州の球磨川もしくは筑後川は、
西日本随一の河童、九千坊 (くせんぼう) という
河童の大親分が棲んでいて、
9千匹の河童を治めていました。
仁徳天皇統治 (3-4世紀) の時代に
黄河上流から一族を率いて
熊本県の八代に上陸して棲みつき、
多くの牛馬や人々が河童の害を受けました。
その傍若無人ぶりに怒った加藤清正に追われ
人畜に悪さをしないことを条件に、
久留米の有馬公から筑後川に棲むことを
許されます。
九千坊河童は有馬公に感謝し、
以後、水天宮の御護り役として、
領民を水害から守る事を誓ったとされます。
今は安産、子授け、初宮詣、
水難除、海上安全、厄除けなど
様々な御利益があるとされます。