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「煤払い」と掃除の歴史

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正月に年神様を迎えるために、
1年の汚れ(穢れ)を払い清めることが
「煤払い」(すすばらい)です。
 
 

「煤払い」

「煤払い」とは、一年の汚れを祓って、
年神様を迎える正常な空間にするという
意味があります。
隅々まで掃除が行き届いた家には、
年神様が「福」をたくさん運んでくると
言わています。
 
 
「煤払い」をした後は、
神棚に灯明を点じ、小豆飯や団子などを供え、
風呂に入ってから新たな気持ちで
玄関に家が清浄な場だという証の
「注連飾り」を飾りました。
 

煤梵天(すすぼんでん)

 
昔は行灯や囲炉裏を使っていましたから、
家の中は煤だらけ。
なので「大掃除」とは
すなわち「煤払い」のことでした。
竹竿の先に藁を取り付けた
「煤梵天」(すすぼんてん)という道具を使って、
高い所の煤を払いました。
 
 
そして使った後は、
屋外の雪の上や肥料の上に立てておき、
年神様の依代 (よりしろ)にする地方もあり、「小正月」の「左義長」(さぎちょう)
御焚上げをしたり、海や川に流したりしました。
 

「煤払い」の歴史

 
大掃除の始まりは平安時代だと言われています。
平安時代の宮中では、12月に一年の煤を払い
神様を迎えるという行事が行われていました。
この行事を「煤払い」(すすはらい)と呼び、
現代の大掃除の由来となっています。
 
 
「煤払い」が12月13日に
行われるようになったのは、
江戸時代に幕府が江戸城の大掃除をしていた
ことに倣ったことからでした。
江戸庶民も「煤払い」に精を出したそうです。
 
 
特に、荒神様が司る「竃」(かまど)の掃除は
念入りに行われました。
昔は、「竃」の煙が一戸の独立した所帯を表し、
所帯数を「竃数」、
分家することを「竃分け」といっていたほど、
「竈」は特別な存在でした。
 
 
そうした「竃」に宿る荒神様は、
火の神であるとともに、
家の運を司る神様でもあり、
竃周り=台所をキレイにしていないと、
その家の運も逃げてしまうと言われています。
 
台所は水や火を使うの場所なので、
様々な気が入り乱れています。
また、食べ物を扱う場所なので、
人間の生きる源を作り上げる場所とも言えます。
他のどこをキレイにしたところで、
台所が汚れていればそれだけで台無しです。
 
 
 特に、生命の源である食べ物を調理する
「ガスコンロ」は重要です。
ここが焦げ付いていたり、
油汚れでギトギトになっていたりすると、
せっかく作った料理にも悪い気がつき、
生命力がダウンしてしまいます。
ですから今年の大掃除は
「ガスコンロ」を中心に行いましょう。
 
 

掃除の歴史

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 「掃除(または掃治)」という言葉が
使われるようになったのは、平安時代です。
 
奈良時代には、
掃除の際の動作を表す言葉として
「ハク」・「ハタク」・「ハラウ」などの語が
用いられていました。
正倉院には「子日目利箒ねのひのめときのほうき」という、
皇后が正月に蚕室を掃き清める
朝廷の儀式用に使われたガラス玉をあしらった
「箒」が収められています。
「箒」は穢れを清める宗教儀式にも
用いられていたと考えられます。
 

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10世紀には、宮中で年末に一年の煤を払う
「煤払い」が習慣化していました。
平安時代の法律についてまとめた書物
『延喜式』(えんぎしき)には、
「煤払い」をどのような手順で行うのか
詳しく書かれてありましたし、
鎌倉時代に書かれた歴史書『吾妻鏡』には、
「宮中で年末に煤払いを行った」との
記述があります。
この頃はただ単に
宮中を掃除するというだけでなく、
「厄払い」の意味が強く込められた
「儀式」として捉えられていたようです。
 
 
また、年末に古い道具類を捨てるという
風習もあったようです。
道具類は(99年を超えて)
100年経っても使っていると、
「付喪神」(つくもがみ)という
「あやかし(妖怪)」に変化して
怪異をなす(禍をなす)と言われたために
古い道具を年の瀬に捨てるといった
風習となったのだとか。
 

 
年末に神社仏閣の境内で
「のみの市」という市が立つのも、
大掃除で出てきた使わなくなった古い道具類を
使う方に譲り渡すことで新しい命を与え、
人に怪異をなす「付喪神」にしないようにするという意味があるのだそうです。
 

室町時代に入ると「煤払い」は
神社仏閣を中心に仏像や本堂を清める行事と
なりました。
 
お釈迦様は2500年前に「掃除の功徳」を
説いていました。
掃除をすることで、身も心を清め、
それを見た人の心も清めることが出来、
全てのものが生き生きと整ってくる・・・
というものです。
 
<掃除の功徳>
1.自心清浄:自分の心が清められる
2.他心清浄:他人の心が清められる
3.諸天歓喜:周りにいる全ての人・ものが
  活き活きする
4.端正の業を植ゆ
  :周りの人の心・物事が整う
5.命終の後、まさに天上に生きすべれん:
  死んだ後でも、天上で生まれる
 
また、「一掃除 二座禅 三看経(かんきん)
と言われるほど、禅寺での生活は
「何はさておきまず掃除から」が基本となって
います。
 
室町時代には商業が発達し、
掃除道具を販売する業者が現れました。
また、掃除に従事する人々は
「庭掃き」と呼ばれていました。
 

江戸時代に入ると、幕府が12月13日に
江戸城の「煤払い」を行うことに決め、
やがて一般の庶民にも広まって、
定着していきました。
 
元は12月20日頃に行われていましたが、
20日は三代将軍・徳川家光の月命日
(1651年4月20日)であったため、
この日を避けて13日にした、と言われています。
 
当時は、半月かけて行われる
お正月準備の最初に行うのが「煤払い」でした。
煤と一緒に一年間の厄を払い、
清らかになった家で門松や注連縄といっ
た縁起物の用意をして新しい年を迎えることが、
当時の人々にとって大変重要な行事だった
そうです。
 
「大店」と言われる商家では、
「煤払い」が終わると主人を胴上げし、
祝宴を開いたと言われます。
1年間の汚れを払い隅から隅までキレイにすると
年神様が沢山のご利益を持って降りてくると
言われているので、「煤払い」も盛大で
賑やかな暮らしの行事のひとつだったようです。
 

大掃除の日

一年で積もり積もった汚れを落として
新年を迎えてもらおうと、
大掃除を呼びかける一日です。
日付は「正月事始め」に由来します。