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コツコツと

♬ 戸締り用心 火の用心・・・「火の用心の歌」

1年の終わりに近くなると、街のあちこちで
「カン! カン! 」と寒柝 (かんたく) を打ち鳴らし、
「火の用心、マッチ一本火事のもと」と
声掛けをしながら夜廻りをする姿を
見掛けるようになります。
 
 

♬ 戸締り用心 火の用心

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1970年台後半から1980年台半ばまで、
「日本船舶振興会(現在の日本財団)」及び
日本防火協会」による
「火の用心」を呼びかける
曜日別のテレビCMが放送されていました。
 
 
作詞・武本宏一、作曲・山本直純の
『火の用心の歌』に合わせて、
「少年消防グループ」の列に
CMソングの作曲家・山本直純が
先頭で威勢良く纏 (まとい) を振り上げ、
最後尾には当時人気の高かったハワイ出身の
更に日本船舶振興会会長・笹川良一も加わって、
寒柝 (かんたく) を叩きながら、
「♬ 戸締り用心 火の用心」と歌いながら、
町を練り歩きます。
 
 
その後、子供達とチンパンジー達が
曜日毎のテーマを演じ、
笹川良一が曜日毎のスローガンを叫んだ後、
子供達が「一日一善!」の掛け声をあげると、
急にボートレースの模様が現れ、
「モーターボート競走の収益金は、
 防犯・防火のために役立っています」という
声優・中村正 (なかむらただし) さんの
ナレーションと拍子木の音で締め括られると
いうものでした。
初期バージョンでは、
作曲家の山本直純さんとチンパンジーは
出演されてはいません。
毎日のスローガンも若干違っています。
 
 
 
 
 
なお『火の用心の歌』の各曜日の歌詞は
次の通りです。
- 火の用心のうた -
[月曜日]
戸締り用心 火の用心
戸締り用心 火の用心
月に一度は 大掃除
げんげん げん気な月曜日
(町をキレイにしよう、一日一善!)
 
[火曜日]
戸締り用心 火の用心
戸締り用心 火の用心
火には用心 火の用心
かんじん かなめの 火曜日だ
(火事に気を付けよう、一日一善!)
(火遊びはやめよう、  一日一善!)
 
[水曜日]
戸締り用心 火の用心
戸締り用心 火の用心
水はいのちの お母さん
すいすい すいすい 水曜日
(水を大切にしよう、一日一善!)
 
[木曜日]
戸締り用心 火の用心
戸締り用心 火の用心
木や草花は 友たちだ
もっともっと ふやそう木曜日
(自然を守ろう、一日一善!)
 
[金曜日]
戸締り用心 火の用心
戸締り用心 火の用心
お金は世のため人のため
ちょきちょき 貯金の金曜日
(物を大切にしよう、一日一善!)
 
[土曜日]
戸締り用心 火の用心
戸締り用心 火の用心
泥んこ風の子 元気な子
どんどん出てこい 土曜日だ
(体を丈夫に、 一日一善!)
(体を鍛えよう、一日一善!)
 
[日曜日]
戸締り用心 火の用心
戸締り用心 火の用心
一日一回 よいことを
ニコニコ ニッコリ 日曜日
(親を大切に、一日一善!)
 

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「火事」は冬の季語

 
冬は空気が乾燥し強風の日が多く、
また防寒のためにストーブや炬燵など
火に親しむ機会も多いことから、
火事が起こりやすい季節です。
 
 
江戸は人家が密集しているため火事が多く、
「火事と喧嘩は江戸の華」と
言われてきたくらいだから、
冬場に火事は付き物でした。
「火事」は冬の季語です。
 

火の番(ひのばん)

火災防止のための
「夜廻り (火の番・夜番) 」が始まったのは、
慶安元(1648)年、第3代将軍・徳川家光の治世。
「町中の者は交代で夜番すべし。
 月行事はときどき夜番を見回るべし。
 店子たちは各々火の用心を厳重にすべし」
というお触れが出されました。
 
 
江戸では、専門の「夜廻り (火の番・夜番) 」を
雇う町も少なくありませんでした。
鳶の頭が先頭に立って、火事装束に身を包み、
金棒を引きながら、
拍子木や太鼓まで打ち鳴らしつつ巡回する
大掛かりな火の番もあったそうです。
 
 
でも江戸の下町では、
「火の番小屋 (夜番小屋・番屋) 」を設えて、
あみだくじか何かで順番を決め、手分けして
拍子木(寒柝 (かんたく) )を叩き、
「火の用心さっさりましょう」と
大声をあげながら
「夜廻り (火の番・夜番) 」を行いました。
「さっしゃる」は「する」の意の尊敬語で、
「なさる」「される」のことです。
ですから「火の用心をなさって下さい」
という意味になります。
 
火事は恐ろしいから、
とにかくどの家も義務として「火の番」を
出さなくてはなりませんでしたが、
昼の仕事を終えてから疲れているし、
何しろ寒くて億劫。
寒い中を一回りして番小屋に戻って来て、
渋茶を啜りながら暖を取っていたのが、
それだけでは収まらず、
そのうち隠し持ってきた酒を飲み出し、
中には山鯨を持ち込んで
猪鍋(牡丹鍋)をこしらえたりと、
もはや宴会。
その現場を目撃した役人も
咎めるどころか一緒になって酒を酌む・・・。
 
江戸落語の名作『二番煎じ』の一幕です。
 
 
 
ただ昭和40年代も半ばを過ぎると、
耐火建築の家やビルが建ち並ぶようになり、
暖房も炭や炭団、練炭、石炭、石油などの
直火のものから、
電気ストーブや電気炬燵、エアコンなど、
徐々に電気製品に切り替わってきたことから、
冬場の火事がめっきり減ってきました。
それにともなって、
町中から「火の見櫓」(ひのみやぐら) も無くなり、
それとともに「火の番」も「火の用心」も
姿を消しました。
 
現在は、防犯・放火対策として、
ボランティアなどの方々が夜回りをしている
ところもあるようです。
12月や年末のみ、夜8時〜9時くらいの間に
行っている所が多いようです。
「うるさい」 と苦情が舞い込むこともあるため、
拍子木は使わない、声は出さないなど、
騒音に配慮して夜回りをする地域もあります。
一方で、町を見回っている夜回りの方に
「お疲れ様です」と声をかける方もいて、
地域の交流にも繋がっています。