4月14日・15日、岐阜県高山市の日枝神社では
「春の高山祭」が開催され、
この有名な祭を一目見ようと、 毎年数十万人が訪れる日本屈指の人気を誇るお祭りです。
高山祭(たかやままつり)
「高山祭」(たかやままつり) は、
春4月の山王様の「山王祭」と、
秋10月の八幡神社の「八幡祭」の総称です。
旧高山城下町は、
町を東西に横切る安川通りを境に、
南半分が上町(かみちょう)、
北半分が下町(しもちょう)と呼ばれており、
春の「山王祭」は上町の氏神様である
「日枝神社」の例大祭で、
秋の「八幡祭」は下町の氏神様である
「櫻山八幡宮」の例大祭です。
動く陽明門 (ようめいもん) とも呼ばれる
飛騨の匠の見事な技が作り上げた
絢爛豪華な屋台が曳き揃えられ町を巡り、
京都の祇園祭、埼玉の秩父夜祭とともに、
「日本三大美祭」の一つに数えられています。
昭和54(1979)年2月3日には
「高山祭の屋台行事」として
国の重要無形民俗文化財に指定されました。
また平成28(2016)年には
ユネスコ無形文化遺産保護条約
「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に
「山・鉾・屋台行事」として登録されました。
春の高山祭
毎年4月14、15日に行われる「山王祭」、
通称「春の高山祭」は、
旧高山城下町南半分・上町の氏神様
「飛騨山王宮 日枝神社」(山王様)の例祭で、
江戸時代の面影を残す伝統行事として
受け継がれてきました。
秋の高山祭
毎年10月9日と10日に行われる「八幡祭」、
通称「秋の高山祭」は、
旧高山城下町南半分・下町の氏神様
「櫻山八幡宮」(さくらやまはちまんぐう) の例大祭で
豊作祈願や収穫感謝の祭として知られています。
「櫻山八幡宮」の境内には、
「高山祭屋台会館 」があって、
秋の祭屋台が常設展示され、
高山祭のビデオ上映(10分間)もあります。
高山祭の起源

起源と初期の祭礼
「高山祭」の起源がいつかということは、
はっきりとは分かっていません。
ですが、飛騨の最初にして最後の領国大名の
金森氏が、天正14(1586)年に飛騨に入国して、
元禄5(1692)年に転封するまでの間であった
ことは間違いないようです。
「元禄5(1692)年より40年以前、
3年に1度ずつ山王神社の祭礼があった」
という古文書が残っています。
これは第4代徳川家綱、
飛騨に於いては第4代金森頼直の時代です。
なお当時の祭りは、
今のような氏子のためのものでなく、
領主の祭りであったと言われ、
山から里に降りてくる神様をお迎えし、
五穀豊穣と家内安全・無病息災等をお願いする
神事でした。
屋台の登場

最初に屋台が作られたのは、
天領時代の「正徳・享保年間」に溯ると言われ、
当時はまだ単層の車に陣幕を張っただけの
質素なものであったようです。
その後、享保年間(1716-1736)には
更に多くの屋台が作られ、
高山祭における屋台文化が確立されました。
更に文化・文政年間(1804-1830)以降になると、
飛騨地方の匠達による彫刻や装飾技術が加わり、
京風の雅なデザインへと進化しました。
この過程で「豪華絢爛」と称される
現在の高山型屋台が誕生したのです。
これは金森時代に財産を築いた富裕な町人達、
いわゆる「旦那衆」が、
惜しげもなく巨費を投じたことに加え、
十数人から二十数人の有志が
資金を出し合う「出し合い」を行って、
それに大工・塗師・彫刻師など
飛騨の匠の技量によって創り上げられたもの
であると言えます。
そして五穀豊穣を願う祭りとして、
上町・下町それぞれの氏子を中心に
地元高山の人々から大切に守られてきました。
高山屋台保存会
明治以降も地域住民によって守られ続けられた
「高山祭」も、第二次世界大戦後は
維持が困難になる局面もありました。
そこで昭和26(1951)年に
「高山屋台保存会」が設立されました。
翌昭和27(1952)年には「高山祭」が
文化財保護法による
国の「無形文化財」に指定され、
昭和35(1960)年6月には
屋台が「重要有形民俗文化財」に、
また昭和54(1979)年2月には
高山祭の屋台行事が「重要無形民俗文化財」に
指定されました。
現在、春と秋それぞれ12台・11台の「屋台」は、
火災や劣化から守るために専用の蔵
「屋台蔵」で保管され、
大切に守り継がれています。
「高山祭」の「屋台蔵」は
湿度・温度・暗さなど屋台を保存するのに
最適な状態を維持してくれるものとして、
様々な工夫が施されており、
保存されている屋台は
全て2~3百年も経っています。
春の高山祭のスケジュール
開催場所

「春の高山祭」は、
安川通りの南側に位置する上町 (かみちょう) で
行われます。
「古い町並」や「高山陣屋」など
多くの見所が集まる観光スポットで、
赤い欄干が印象的な「中橋」周辺」は、
「屋台曳き揃え」や「からくり奉納」の
会場となります。
屋台曳き揃え
(やたいひきそろえ)

「春の高山祭」では、
飛騨の匠による精巧な彫刻や装飾が施され、
国の重要有形民俗文化財に指定された
12台もの屋台が勢揃いします。
屋台はそれぞれ独自のデザインやテーマがあり、
飛騨の匠の技術が光る彫刻や装飾を
間近で鑑賞出来ます。
・神楽台 (かぐらたい)
・三番叟 (さんばそう)
・麒麟台 (きりんたい)
・石橋台 (しゃっきょうたい)
・五台山 (ごたいさん)
・鳳凰台 (ほうおうたい)
・恵比須台(えびすたい)
・龍神台 (りゅうじんたい)
・崑崗台 (こんこうたい)
・琴高台 (きんこうたい)
・大国台 (だいこくたい)
・青龍台 (せいりゅうたい)
屋台は基本的に、
上・中・下段の3部分で構成されており、
屋台が曳かれると、上・中段がゆらゆらと
揺れるように造られていて、
揺れて動く姿は独特の風情があります。
[日時]
・4月14日(月)9:30~16:00
・4月15日(火)9:30~16:00
・4月14日(月)9:30~16:00
・4月15日(火)9:30~16:00
[場所]
御旅所や神明町通り、さんまち通りなど
御旅所や神明町通り、さんまち通りなど
からくり奉納
(からくりほうのう)
お旅所前で、午前と午後の1日2回、
屋台上で繰り広げられる「からくり奉納」は、
「高山祭」を代表する見所の一つです。
12台あるうちの
「三番叟」(さんばそう)「石橋台」(しゃっきょうたい)
「龍神台」(りゅうじんたい) という
3つのからくり屋台で披露されます。
からくり屋台では、
熟練の綱方 (つなかた) と呼ばれる人達が
数十本の綱を操って、
まるで生きているかのように
からくり人形を操作します。
特に「三番叟」(さんばそう) では、
人形が扇子と鈴を持ちながら舞い、
顔を伏せて翁へと変身する動きが見所です。
この繊細かつ大胆な動きは、
観客を魅了します。
[日時]
・4月14日(月)午前の部: 10:00~10:50、
午後の部: 14:00~14:50
・4月15日(火)午前の部: 10:00~10:50、
午後の部: 14:00~14:50
・4月14日(月)午前の部: 10:00~10:50、
午後の部: 14:00~14:50
・4月15日(火)午前の部: 10:00~10:50、
午後の部: 14:00~14:50
[場所]
日枝神社 御旅所
日枝神社 御旅所
御巡幸(ごじゅんこう)
昼頃になると、神輿を中心に、
お囃子や雅楽、巫女、獅子舞、
「闘鶏楽 」(別名「鳥毛打 」「かんかこかん」) や
一文字笠に袴裃姿の警固など、
伝統の装束を身に纏った総勢数百名に及ぶ
「御巡行」(ごじゅんこう) が
日枝神社から出発します。
その光景は時代絵巻のように華やかです。
闘鶏楽 (とうけいらく) は、地域の人達は
その音色から「カンカコカン」と
呼んでいます。
一文字笠に、龍と鳳凰を染め抜いた
飛騨染めの衣装を身に着けて、
鉦と締太鼓を打ちながら行進します。
数十の曲目があり、
祭が近づくと地域の子供達も一緒に
毎晩熱心に練習を行います。
「御巡行」(ごじゅんこう) は、
氏子の繁栄を願い、
神様が1泊2日の旅をするもので、
御旅所 (おたびしょ) が宿所となります。
神様は御分霊により神輿に乗って、
総勢数百人もの大行列を組んで
氏子区域を巡り、
2日目の15日正午「発御祭」が行われ、
その後、御旅所から日枝神社へ還御されます。
[日時]
・4月14日(月)13:00~16:00頃
・4月15日(火)12:30~16:00頃
・4月14日(月)13:00~16:00頃
・4月15日(火)12:30~16:00頃
[場所]
御旅所や神明町通り、さんまち通りなど
御旅所や神明町通り、さんまち通りなど
夜祭(よまつり)

14日夜の「夜祭」(よまつり) と呼ばれる
日が暮れてから行われる祭りでは、
約100個もの提灯を灯した各屋台が
夜の町並みを巡行し、艶やかに夜の闇を飾り、
昼とは異なる幻想的な雰囲気が魅力的です。
屋台囃子も、昼から演奏していた
「大八くずし」から
「高い山」という曳き別れ曲へ変わり、
祭りは最高潮に達します。
[日時]
・4月14日(月)18:00~21:00頃
・4月14日(月)18:00~21:00頃