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浅草寺「菊供養会」(きくくようえ)

    

 

「菊供養会」(きくくようえ) は、
かつては旧暦の9月9日の「重陽の日」に
東京都台東区浅草の浅草寺で営まれる
菊花の供養行事です。
 
 

菊供養会(きくくようえ)

 
10月18日、東京・浅草寺の本堂では、
菊供養会(きくくようえ) が行われ、
ご信徒の持参する「献菊」と
既に献花された「下供菊」(げくうぎく) とを
交換するために多くの人で賑わいます。
 
 
この日に交換した菊を陰干しした後に、
枕の下に敷いて寝ると、頭痛が去り、
災厄を除くと言われています。
 
菊供養の加持法楽の観音経音誦は
終日営まれることから
「供華会」(くうげえ) とも称し、
午後2時からは「金龍の舞」の奉演が
行われます。
 
また、この日は菊をかたどった
長寿祈願の「菊のお守り」が授与されます。
 

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菊供養会」(きくくようえ)の起源

浅草寺の「菊供養会(きくうようえ)は、
明治30(1897)年9月9日[旧暦]
(新暦では10月11日)に、
第19世貫首・奥田貫昭大僧正が
「観世音菩薩と菊慈童 (きくじどう)」という
法話をなされたことがきっかけとなって、
翌明治31(1898)年9月9日の「重陽の節句」より始められた行事です。
 

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戦後の昭和23(1948)年からは、
旧暦の9月9日では日にちが一定しないため、
菊の出廻る頃に当たる10月の
観音様のご縁日である18日を
「菊供養」の定日とし、今まで続いています。
 

「菊慈童」(きくじどう)の伝説

 
菊慈童 (きくじどう) とは、
古代中国の周王朝の穆周 (ぼくおう)
寵愛されていたという召使い少年のことです。
 
ある日、菊慈童は国王の寝室を掃除中、
誤って王の枕を跨いでしまったことから、
罰として河南省の山中に追放されました。
 
罪とはいえ、寵愛する菊慈童を不憫に思った
穆周 (ぼくおう) は、釈尊より賜ったという
『観音経』の二句の偈文 (げもん)
密かに菊慈童に授けておきました。
 
 
菊慈童もそれを忘れることがないように
菊の葉に書き写しておいたところ、
その葉に滴り落ちた雨露が「霊薬」となり、
これを飲んだ菊慈童は不老不死の仙人になった
という神仙思想に基づく伝説です。
 
 
謡曲『菊慈童』などは、
この伝説に基づいたものです。
 
 観音経の二句の偈文 (げもん) とは、
 
 具一切功徳慈眼現衆生
 福聚海無量是故我頂礼
 
 という経文で、
 観世音菩薩は一切の功徳を備えており、
 常に慈悲の眼で衆生を見ておられる、
 そして菩薩は海の如く
 はかり難い福徳の集まりであるから
 常に頂礼しなさいとの意味です。
 
この話から、
菊の花を酒に浮かべて飲めば
延命が得られるとして、
重陽の節句の「菊酒」の習俗などが
生まれました。