「初子」(はつね)とは、
その年の初めての「子」(ね)の日のことを言います。

この日に大黒天を祀る社寺で行われる縁日のことを
「初子祭」(はつねさい)と言って、初詣の人々で賑わいます。
「大黒天」は福徳や財宝を与える福の神ですが、
「大黒」の「だいこく」が「大国」に通じるため、
日本の神である「大国主命」(おおくにぬしのみこと)と
混同され、習合して、信仰されました。
大国主命(おおくにぬしのみこと)の神話では、
大国主命がスサノオの策略によって焼き殺されそうになった時、
子(ネズミ)が助けたことから、
子(ネズミ)が大黒天の使いとされています。
平安時代、正月最初の「子」(ね)の日には、
「子の日の御遊び」と言って、
野外に出て小松を引いたり、若菜を摘んだりしました。
松は常緑樹であり、長寿の象徴。
そしてこれから成長していく小松を引くことは、
行く末が楽しみだという想いが込められています。
また、摘んだ若菜は羹(あつもの)にして食べたりしました。
それが後に「人日」(じんじつ)(正月7日)に
作られるようになりました。
『万葉集』には、「初子」を歌った大伴家持の和歌があります。
初春の 初子(はつね)の今日の玉箒
手に取るからに ゆらぐ玉の緒
手に取るからに ゆらぐ玉の緒
これは、天平宝字2(758)年正月3日の初子(はつね)の日に
孝謙天皇から廷臣に「玉箒」を下賜された時に読んだもので、
頂戴いたしました正月初子の玉箒を手に取りますと、箒の枝頭の玉が揺れ動き、それにつれて私の『魂の緒』(生命力)も、揺れ動く(活動する)心地がいたします
という意味です。
「初子」の日、
天皇陛下が「手辛(てがら)の鍬」で自ら田を耕し、
皇后陛下が蚕室を払う儀式が行われますが、
蚕を飼う棚を清めるために使われたのが「玉箒」です。
「玉箒」には寿命を意味する玉(魂)を飾ります。
「玉の緒」は玉箒の玉を通した紐で、
「玉箒」を揺らすと魂が活発となり邪気を払うとされました。
群臣達は天皇から「玉箒」を拝領した後に、
新年の宴会となっのだそうです。
現在、天平宝字2年正月子日に、
東大寺から孝謙天皇に献納された「玉箒」の現物、
「子日目利箒」(ねのひのめどきほうき)2口があり、
正倉院南倉に収蔵されています。
【#第71回正倉院展主な出陳品 】#正倉院展 #奈良 #奈良国立博物館https://t.co/UamY2so6jv
— 奈良国立博物館 Nara National Museum, Japan (@narahaku_PR) October 14, 2019
南倉75 子日目利箒 [ねのひのめときのほうき]
(儀式用の箒) 1柄
長65.0 把径3.9
前回出陳年=2009年 pic.twitter.com/XKPSEyWCxf
『正倉院御物図録十四』の第10図と第11図には、
箒の先に小さなガラス玉が数個残っています。
把手を見ると、10図は紫色の染皮で包み金糸を巻いてありますが、
11図は把手の染皮に金糸はなく、15段の玉痕だけが残っており、
本来、そこには諸種の色のガラス玉が巻かれていたと考えられています
(現存は1段だけ)。