1月10日は、新年最初の金比羅様の縁日です。
別名「初十日祭」とも呼ばれています。
一年最初の「金毘羅」の日にお参りをすると、
特別な功徳やご利益が授かると言われ、
各地の金毘羅様は参詣の人で賑わいます。
金比羅さんの「縁日」は毎月10日ですが、
その「縁日」の始まりは、
東京メトロ銀座線の「虎ノ門駅」より
南へ徒歩1分の地に鎮座する
「虎ノ門金刀比羅宮」 (とらのもんことひらぐう) と
言われています。
江戸時代、「一生に一度はこんぴら参り」
という言葉まで生まれたほど、
讃岐の「金刀比羅宮」は
庶民から高い人気を誇っていました。

そんな背景もあって、
讃岐(現在の香川県)の丸亀 (まるがめ) 藩主・
京極高和 (きょうごくたかかず) は、
万治3(1660)年、邸宅を愛宕下に建造した際、
三田の丸亀藩上屋敷に 「金毘羅大権現」 を勧請。 更に2代藩主の京極高豊が、延宝7(1679)年に、
虎ノ門近くに江戸上屋敷を移転したのに伴って
「金毘羅大権現」も虎ノ門の藩邸内に
移しました。

わざわざ四国まで出向かなくても
御利益が得られるとあって、
虎ノ門藩邸内に祀られた「金比羅宮」には、
塀の外から賽銭を投げ込んで参拝する人々で
溢れました。
そんな江戸市民の熱烈な要請に答えて、
丸亀藩では、毎月10日に限り、
門を開き邸内での参拝を幕府に願い出て、
許可を得ました。
それが金毘羅さんの「縁日」となり、
毎月10日の縁日は押すな押すなの大盛況で、
虎ノ門を江戸の名所にし、
財政難の藩にとっても、賽銭の収入で、
貴重なサイドビジネスになりました。

歌川広重「名所江戸百景」第113景
『虎の門外あふひ坂 (葵坂)』には、
「金毘羅大権現」(こんぴらだいごんげん) と
書かれた提灯を手にして、
(明治時代に埋め立てられて今はない)
葵坂の下にある「虎ノ門金刀比羅宮」への
「寒詣」(かんもうで) から帰る褌姿の2人連れが
描かれています。

「寒詣」(かんもうで) とは、「寒の内」の期間に
寒天の星空の下、褌一丁で水垢離を取り、
その姿のままで鈴を鳴らしながら
約30日間、神社仏閣へ通い続ければ、
技能が上達するという言い伝えがありました。
そこで、技術の習得を祈願する見習い職人達は
「寒詣」をよく行い、その姿や鈴の音は
真冬の風物詩だったと言われています。
血気盛んな若者達が、半信半疑と面白半分に
手に提灯、腰に鈴を付けて、
金毘羅宮の社へ夜参りを敢行。
そしてそんな参拝者のために
夜鳴蕎麦の屋台が出張するという様子が
描かれています。
現在は、「虎ノ門金刀比羅宮」は
境内に地上26階のオフィスビル
「虎ノ門琴平タワー」が建つなど、
都心ならではの神社として親しまれています。
年の初めの縁日は「初こんぴら祭」は、
1月1日から始まり、神楽殿では「里神楽奉納」、
参道では「七福神の行列」が練り歩き、
露店が数多く出店して初春の雰囲気に溢れます。
また元日から10日まで「福銭開運の御守」が
授与されます。
そして「金刀比羅宮」と言えば、海上安全、
商売繁盛、豊作などの御利益で有名ですが、
「虎ノ門金刀比羅宮」は、
江戸時代より「縁結び」でも有名で、
良縁を求める多くの女性達の厚い信仰を
集めてきました。
本殿向い右側に2つの小さなお社がありますが、
その左側の「結神社」(むすびじんじゃ) の前で
自らの黒髪を一部切り取り、
或いは折り紙を持参して、
この結神社社殿の格子や周りの木々に
それらを結わい付けて良縁祈願したそうです。
現在はそこまではしませんが、
授与所で『良縁祈願セット』を求めて、
祈願台に結び付けて良縁を祈願する人の姿が
絶えません。