「二十日正月 」とは、
正月にお迎えした「歳神様(年神様)」が
お帰りになる日と考えられています。
二十日正月(はつかしょうがつ)
「二十日正月」(はつかしょうがつ)は
正月の祝い納めの日です。
1月20日はお正月にお迎えした
「歳神様」(年神様)がお帰りになられるので、
「二十日正月」を「正月の祝い納め」の日とし、
地域によって異なりますが、
この日にはお正月の飾り物などを全て片付け終え、
締めくくる日とされています。
または、仕事始めの日とされています。
骨正月
「二十日正月」には、
お正月の飾り物などを全て片付け終えるだけでなく、
正月料理や餅なども全て食べ尽くしてしまいます。
そのため、
「二十日正月」を「骨正月」(ほねしょうがつ)とか
「頭正月」(かしらしょうがつ)と呼ぶ地域もあります。
正月に準備した一尾丸ごとの魚の頭や骨を、
根菜などと一緒に煮て残らず食べたことに由来します。
魚は神事や祭事の供物として欠かせない縁起物で、
年越しのために用意するものを
「年取魚」(としとりざかな)と呼びます。
東日本では「栄える」に通じることから「鮭」(さけ)、
西日本では成長段階で名前が変わる
「出世魚」の「鰤」(ぶり)がそれに当たります。
「二十日正月」の日、
「年取魚」(としとりざかな)の骨や頭を水からじっくり炊いて、
柔らかくなったら酒や塩で味付けをしたり、
大根やゴボウといった根菜類と一緒に粕汁やあら煮などにして、
全て食べ尽くします。
正月に準備した「年取魚」(としとりざかな)を
骨まで煮て残さず食べることには、
実りへの感謝や今年の豊作への願いが込められています。
「二十日正月」の別名は、
地方毎にその食べるものによって名称が異なり、
「麦正月」「とろろ正月」「団子正月」
「はったい正月」などとも呼ばれています。
なお、20日は関東各地では「えびす講」と重なるので、
その行事と「二十日正月」が一体となっている面もあります。
「刃柄祝い」(はつかいわい)
かつて武家では、「刃柄祝い」(はつかいわい)と言って、
正月に飾った甲冑(かっちゅう)の前に供えた
「具足餅」(ぐそくもち)や「武家餅」(ぶけもち)を下げ、
槌などで割って頂きました。
「鏡開き」のルーツです。
「具足祝い」「具足開き」で、
具足餅(鏡餅)を割る際、
刃物で餅を切ることは
切腹を連想させることから縁起が悪いとされ、
木槌などで叩いて割って細かく分けられました。
「刃柄祝い」(はつかいわい)・・・ということで、
かつては「具足祝い・具足開き」も1月20日でしたが、
江戸幕府の第三代将軍・徳川家光が
慶安4年4月20日に亡くなり、
「20日」が月命日となったことから、
特に関東では、
それまで1月15日までとされていた「松の内」が1月7日に変更、
「鏡開き」も1月11日に行うとして、受け継がれています。
なお関西では、
1月15日の「小正月」に「鏡開き」を行う場合も多く、
「松の内」の期間も、
従来通り1月15日までとして行事が行われています。