うまずたゆまず

コツコツと

初湯(はつゆ)

 

新年になって初めて入るお風呂のことで、
正月2日が多いです。
 
 
新年になって初めて入るお風呂のことを
「初湯」(はつゆ) と言います。
前年の穢れを落とし、
清らかな心で新しい年を迎え、
一年の無病息災と幸せを祈る
日本の伝統的な習慣です。
 
 
かつて平安貴族達は
「湯殿初」(ゆどのはじめ) と言って、
新生児に産湯 (うぶゆ) をつかわせた後、
3日目に入る風習がありました。
「初湯」は「若湯」とも呼ばれ、
「初湯」に入ると若返りするとも言われました。
 
 
江戸時代、よほどの大町人でないと
自家に風呂のある家は少なく、
一般の町人は内風呂を持っていませんでした。
江戸一番の呉服屋「越後屋」でさえ
内風呂を持っていなかったそうです。
 
風呂に用いる薪や水の調達が困難であった他、
火災の多かった江戸では防災上の理由もあり、
町人が内風呂を持つことは禁止されていた
のです。
 
 
そのため「湯屋」(ゆや) が大変繁昌しました。
ただ「湯屋」の数は大体一町に一軒の割で、
それは江戸幕府が江戸市中の「湯屋」の数に
制限を設けて、みだりにその数を増やすことを
許可していなかったからです。
「湯屋」を開業するためには、
「湯屋株」を所有しなくてはなりません
でした。
 
「湯屋」の営業時間は、
普段は毎朝8時から夜の8時(当時の五ツ時)。
「湯銭」は寛永150年間はほぼ変わらず、
平均して大人6文(約150円)、子供4文(約100円)。
更に日に何度も銭湯へ通う客のために、
「羽書」(はがき) という1か月間フリーパスの
木札が148文 (約3,700円) で売られていました。
 
 
このように「湯銭」が安価であったのは、
「湯屋」の燃料が金を払って買う薪の他に、
廃材や火事の焼け跡、ゴミ捨て場などで
集めた物を利用したためです。
ただ町もキレイになったのですから、
まさに一石二鳥でした。
 
 
 
例年十二月「大晦日」の湯屋では、
終夜風呂を焚いて営業したことから、
浴客は絶えず訪れました。
そして夜明け前になって客の途絶えた頃に
一旦風呂の湯を落としてお休みしました。
そして水を汲み替えて焚き直しました。
 
 
「湯屋」では、
元日の朝から「七草」までの間は、
女湯では、板の間に茶釜を据えて
大福茶(おおぶくちゃ) を振る舞い、
男湯の方は、男湯だけにあった二階で
大福茶」を振る舞いました。

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一方、新年になって初めて
「湯屋」を訪れる浴客の方でも、
御祝儀と言って、「湯銭」として12文を
白紙に包んだ「おひねり」を渡した他、
奉公人にも心付けをしました。
 
「湯屋」では、七草(人日の節句)まで、
番台の上に三方盆を据えて、
その上にこの「おひねり」をうず高く
盛りました。
 
なお湯銭として「おひねり」を出したのは、
湯屋の「物日・紋日」(もんび・ものび) で、
普段の湯銭に2文足した12文を出しました。
(文久3年以後は16文に値上げ)
 ・正月元日から3日、7日、11日、
  14日から16日、20日
 ・2月初午
 ・3月3日
 ・5月5日
 ・6月祭礼日
 ・7月7日、15、16日
 ・8月15日
 ・9月9日
 ・10月20日
 ・12月13日、30日
 
なお、正月と7月の16日は
「貰湯」(もらいゆ) と言って、
この日の「湯銭」は三助(湯屋の奉公人)達の
ボーナスになりました。
そして翌17日は彼らの休み日でした。