
『紀元節』(きげんせつ)は、
明治21(1888)年2月に制定された唱歌で、
宮内庁御歌所長であった
歌人・高崎正風 (たかさきまさかぜ) が詞を書き、
東京音楽学校創始者として知られる
伊沢修二 (いざわしゅうじ) が曲をつけました。
「紀元節」(きげんせつ)とは
現在、「国民の祝日」になっている
2月11日の「建国記念の日」は、
明治6(1873)年に定められた祝祭日の中の
「四大節」(しだいせつ) の一つ
「紀元節」(きげんせつ) でした。
『日本書紀』の「神武天皇元年正月朔の条」に
次のように記されています。
辛酉年春正月庚辰朔
辛酉 (かのととり) の年の春正月 (はるむつき)、
庚辰 (かのえたつ) の朔 (ついたち)
庚辰 (かのえたつ) の朔 (ついたち)
天皇即帝位於橿原宮
是歲為天皇元年
是歳 (このとし) を
天皇元年 (すめらみことのはじめとし) と為す。
天皇元年 (すめらみことのはじめとし) と為す。
明治5(1872)年に神武天皇の即位を以て
日本の紀元とすることが定められ、
「紀元節」が制定されました。

続いて、文部省天文局によって
神武天皇の即位日を太陽暦に換算された結果、
「2月11日」であると算定され、
太政官布告第344号
「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」によって、
2月11日を「紀元節」として祝日とすることが
定められました。
唱歌『紀元節』
「祝日大祭日」で歌われる唱歌は、
明治26(1893)年8月12日、文部省告示第3号
「小学校ニ於テ祝日大祭日ノ儀式ニ用フル
歌詞楽譜ヲ撰定ス」により定められました。
そしてそれ以降、各地の尋常小学校では、
「紀元節式典」中で
この唱歌を全校合唱することが定められ、
終戦まで歌われました。
なお現在も、日本各地で行われている
「紀元節祭」において、
『紀元節』を歌うところは多いようです。
『紀元節』の詞章
『紀元節』の詞章 (ししょう) は四番まであります。
一、
雲に聳(そび)ゆる 高千穂の
高根おろしに 草も木も
なびきふしけん 大御世(おおみよ)を
仰ぐ今日こそ たのしけれ
・高千穂
宮崎県と鹿児島県の県境にある
・高根おろし
高い山の上から吹き下ろしてくる風、
「颪」(おろし) のこと。
・なびきふしけん
草木が風に靡 (なび) き、地面に臥すこと。
・大御世
天皇の治世を意味する。
二、
海原なせる 埴安(はにやす)の
池のおもより 猶ひろき
めぐみの波に 浴(あ)みし世を
仰ぐ今日こそ たのしけれ
埴安の池(はにやすのいけ)
奈良県橿原市 の天香久山 の西麓にあった池。
『日本書紀』崇神紀十年九月条によれば、
孝元天皇の皇子・武埴安彦 が
妻の吾田媛 とともに
崇神天皇に謀反を図った際、
孝霊天皇の皇女で巫女的な女性・
「吾田媛が密かに『倭の香山の土』を取り、
領巾の端に包んで、呪いの言葉として
『倭国の物実 (=倭の代表の土)』と
言っていたと天皇に進言。
挙兵したものの、破れて両人とも処刑された。
すなわち、天香山は大和の国そのものであり
その土を手に入れることは
大和の国を手に入れることに等しい行為と
みなされていました。
三、
あまつひつぎの 高みくら
千代よろずよに 動きなき
もとい定めし そのかみを
仰ぐ今日こそ たのしけれ
・あまつひつぎ
(天津日継・天つ日嗣・天乃日嗣・天乃日継)
皇位を継承すること、皇位。
・たかみくら(高御座)
大極殿や紫宸殿などに設けられた
天皇の御座。転じて、天皇の皇位をも指す。
即位・朝賀などの大礼の際、
天皇は高御座に着くのを例とした。
・千代よろずよ(千代・万代(万世))
千代 (ちよ) は、大変長い年月のこと。
万代 (万世) は、限りなく長く続く世の意味。
・(国の)もとい(基)
「もとい (基)」は、土台や基礎のこと。
「国のもとい」で、国家を維持していく
根本となるものを指す。
四、
空にかがやく 日のもとの
よろずの国に たぐいなき
国のみはしら たてし世を
仰ぐ今日こそ たのしけれ
・日のもと
「日本」のこと。
・よろずの国にたぐいなき(類なき)
世界に比類ないこと。
・国のみはしら(御柱)
国家の柱となるべき存在のこと。