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時の記念日

 
6月10日は「時の記念日」(ときのきねんび)です。
大正9(1920)年に「生活改善同盟」による
日常生活を合理的にしようとの提唱を受けて、
制定されました。
 
 

「時の記念日」制定の経緯

 
江戸時代の時間感覚
 
江戸時代の日本では、
日の出と日没を基準とする
「不定時法」という方法を用いた
時間区分法が採用されていました。
 
日の出およそ30分前の
薄明が始まった時を「明け六つ」、
夕方、日没およそ30分後の
薄明が終わった時を「暮れ六つ」とし、
その間を昼夜それぞれ六等分して
「一刻」(いっこく)とし、
お城やお寺が「時の鐘」を撞いて
人々に時間を報知していました。
 
 
この「不定時法」では、「一刻」の長さは
一日のうちでも昼夜で異なり、
しかも季節によっても違ってきます。
ただ、季節感を重要とした日本人の生活には
馴染み深く、特に不便はありませんでした。
 
明治の時刻制度変更
明治に入り開国が進められると、
1日を24時間に分割し、時間の長さが
季節や緯度に関わらず一定な
「定時法」を採用していた西洋人と
時間に対する感覚のズレで困るように
なります。
外国人は「日本人は時間にルーズだ」と
思われていたと言われています。
 
明治6(1873)年に「太陽暦」が採用された際、
時刻制度も「不定時法」から
西洋の24時間制の「定時法」に変更されました。
 
 
鉄道や郵便といった社会のインフラが着実に
整備されるのに伴って、正確な時刻を管理し、
使うことが必要となりました。
そして、鉄道では時刻表が作られたり、
各地の郵便局では時計が設置されたりして、
人々も時刻というものを意識するようになって
いきました。
 
そうした中、大正9(1920)年、国民に更に
時間の大切さや時間を守ることを徹底させる
ため、「時の記念日」が制定されたました。
 
こうして今では、「日本人は時間に正確」
という定評が出来上がりました。
 

「時の記念日」日付の由来

日付は、日本に残る最古の歴史書
『日本書紀』に記された故事に由来します。
 
天智天皇10年4月25日、
天智天皇は、唐から伝えられた
「漏刻」(ろうこく)という水時計を建造し、
その「漏刻」で時を知らせる
「時の奏」(ときのそう)儀式を行い、
日本で初めて正式に「時」が刻まれ始めました。
 
その日を「太陽暦」に換算すると、
グレゴリオ暦671年6月10日で、
「時の記念日」は6月10日に定められました。
 
日本では、それまで「日時計」を用いて
大まかな時間を導き出していましたが、
「日時計」は昼間や晴れている時にしか
使うことが出来ません。
一方「水時計」は、
上から下に階段のように続く水槽の中に、
水を一定の速度で順に流し込み、
水面に浮かべた矢の差し示す目盛りが
時刻を知らせてくれる仕組みになっているので
いつでも時間を知ることが出来ます。
 
「時の奏」(ときのそう)とは、
宮中で、夜間(亥の初刻(21時)から
寅の刻の終わり(5時)まで)、
陰陽寮(おんみょうりょう)の「漏刻」が示す
時刻を告げることです。
 


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時の記念日

「時」展覧会
大正9(1920)年5月16日から7月4日まで、
東京教育博物館(現:国立科学博物館)で
「時」をテーマとした史上最大の特別展
「時」展覧会が開催されました。
 
展示会には、東京天文台を始めとする団体や
個人が貴重な時計や天体観測機器を出品したり「動物の寿命」とか「婦人一生のお化粧時間」といったユニークな視点の展示もあったりで、評判に評判を呼び、連日大盛況となりました。
43日間の入場者は22万人にも及び、
日本の博物館の歴史の中でも画期的な出来事と
なりました。
 
令和4(2020)は時の記念日100周年でした。
 

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また「時」展覧会に当たり、文部省は
「時間尊重」の考え方を発表しました。
 
丁度この会期中の6月10日は、
天智天皇が漏刻を用いて時を知らせた
故事に当たっていたことから、
「時間尊重の考え方」に賛同し、
「時」の展覧会に熱心に援助していた
「生活改善同盟会」の提唱により、
「時の記念日」は誕生しました。
 
生活改善同盟(せいかつかいぜんどうめい)
大正時代、東京教育博物館
(現・国立科学博物館)では、
通俗教育(社会教育)を意識した
様々な展示会を開催していました。
こうした一連の展覧会が契機となり、
大正9(1920)年に伊藤博邦公爵を会長として、
有力なメンバーを擁し、
「生活改善同盟会」が発足しました。
 
「生活改善同盟会」は、
国家的利益と産業効率を向上させるためには、
個々人の生活意識そのものを改革することが
必要と考え、大正から昭和期に展開された
「生活建直し運動」の一翼を担いました。
 
「生活改善同盟会」では、
社会や家庭に於ける生活を通じて、
衣食住の改善を始め、社交、礼儀など
十数項目に渡り改善を推進しようとし、
その実行要目の第一項に
「時間を正確に守ること」を謳いました。
そしてビラ約5万枚を配布し、
「時の記念日」の意義をPRしました。
 
※ 生活改善同盟会が配布した「ビラの内容」
時の記念日
この六月十日は、1,250年前、畏くも、
天智天皇が、漏尅水時計を用いて報時の事を
行わせられました日に当たります。
我等は斯様な由緒ある日を記念に一層、時間を尊重し、定時を励行致したいと思います。
 
○執務の時間
・出勤、及び退出の時間を励行する事。
・勤務と休養の時を区別し、時間を空費せぬ事。
・取引約束の期日を違えぬ事。
 
○集会の時間
・集会の時日は、多数者の都合を考えて
 定める事
・開会の時刻は掛値をせぬ事。
・集会の時刻に遅れぬ事。
 
○訪問の時間
・先方の迷惑する時間の訪問は慎む事。
・訪問は予め時間を打合せる事。
・簡単な用談は玄関店頭で済ます事。
・面会は用談を先きにして早く切り上げる事。
・来客は待たせぬ事。
 
○正確な時計
 時間の励行には、正確な時計が第一に必要で
 あります。
 正確な時間に合わせるには午砲の外に最寄り
 の電信局及び停車場に行くがよろしい。
 午砲は約三町毎に一秒遅れて聞えますから、
 それだけ差し引く必要があります。
 
生活改善同盟会
 
 
第1回 生活改善同盟会主催「時の記念日」行事
大正9(1920)年6月10日、
第1回「時の記念日」が開催され、
様々な催しが行われました。
 
当日、東京では、5万枚のビラが配られた他、
正午には東京全市に大砲の砲声が鳴り、
工場や事務所の汽笛が鳴り、
寺社や教会の鐘が打ち鳴らされました。
東京教育博物館では「時間節約」と書いた札を
結んだ風船も飛ばされました。
 
東京天文台の河合技師などの指導の下、
天文台から標準時計を運び出して、
浅草・上野・須田町・日本橋・銀座の5か所で、
通行人に時計を合わせが行われました。
 
また当時の歌舞伎役者と東京天文台の技師が
協力して東京各所の時計の正確さを調べ、
翌日の新聞に発表すると、
全国で熱心に読まれました。
こうして人々は初めて
「秒」という単位を明確に意識し、
以降、時間を正確にすることの重要性が
社会の中で大きくなっていきました。
 
「時の記念日」に関する行事は、
翌大正10(1921)年以降、20年以上に渡り
同会を中心に全国各地で記念行事が行われ、
外地の台湾や朝鮮の京城、大連などでも
関連行事が実施されました。
 
戦後も時計の業界団体を始めとした
各種の民間団体が関連行事を行っています。 また昭和35(1960)年6月10日には
「明石市立天文科学館」が開館しました。
 

現在行われている「時の記念日」イベント

天智天皇をお祀りする「近江神宮」では、
毎年「漏刻祭(ろうこくさい)という
お祭りが斎行されています。
 


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静岡県掛川市の「掛川城御殿」では
太鼓打ち鳴らし式」が行われます。
 
 
兵庫県明石市の「明石市立天文科学館」は、「時の記念日」が開館記念日で、
令和5年はプラネタリウム100周年でもあり、
様々なイベントが予定されています。
オンライン生配信も開催予定です。
 


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