6月の第3日曜日は「父の日」です。
令和4(2022)年は6月19日になります。
5月の「母の日」に対して、こちらは「父親に感謝する日」です。
「父の日」の起源
「父の日」は、「母の日」同様、
アメリカから始まったと言われています。
アメリカのワシントン州スポケーンに、
ソノラ・スマート・ドッド(Sonora Smart Dodd)という女性がいました。
ソノラの父ウィリアム・ジャクソン・スマート(William Jackson Smart)は、
南北戦争に出兵していた退役軍人でした。
復員直後、妻はそれまでの疲労が原因で亡くなってしまいます。
そのため、退役軍人の父が男手一つで
ソノラを含む6人の子供達を育て上げました。
ソノラは、深い愛情を注いでくれる父をとても敬愛していました。
1909年5月、
教会で行われた「母の日」のお祝いに参加していたソノラは
「なぜお父さんの日はないのだろう?」という疑問に思い当たります。
「母の日」は1907年に5月に提唱され、
既にアメリカ国内に広く浸透していました。
その「母の日」と同じように大好きなお父さんのための日も作ろう、
そう思い立ったソノラは、
地元の牧師教会に「父の日」を作りたいと相談しました。
そして翌1910年、6月の第3日曜日に当たる6月19日に、
最初の「父の日」のお祝いが行われました。
当初、ソノラは自分の父の誕生日である6月5日の開催を目指したようですが、
準備が間に合わず延期となり、そのまま6月の第3日曜日が「父の日」として
定着することになったそうです。
しかし、この「父の日」の式典が一般に浸透するまでには、
実に6年もの年月がかかったと言われています。
なかなか多くの人に浸透することのなかった「父の日」を
たくさんの人が知るきっかけになったのは、
1916年の式典でウッドロー・ウィルソン米大統領の演説によるそうです。
1926年には「ナショナル ファーザーズ・デイ コミッティ」が
ニューヨークで組織されました。
そして多くの人に認知されるようになった「父の日」は、
1972年に「6月第3日曜日」に記念日として正式に制定されたのでした。
「父の日」が日本に普及したのは?
日本に「父の日」が入って来たのは昭和25(1950)年頃と言われていますが、
実際にお祝いがされるようになったのは1980年代に入ってからです。
昭和56(1981)年に「日本ファザーズ・デイ委員会」が設立され、
翌昭和57(1982)年からは「ベスト・ファーザー発表・授賞式」開催されるなど、
「父の日」の浸透に大きく寄与しました。
デパートなどが販売戦略の一つとして、
「父の日」をイベント化したこともあり、次第に一般化していきました。
父の日に贈る花
「父の日」に贈る花は一般的には「黄色いバラ」とされています。
これは「父の日」提唱者のソノラが
父の墓の前に「白いバラ」を添えたエピソードに由来していると言われています。
そして、在命中には「赤いバラ」、
亡くなった父親には「白いバラ」を贈るという風習が生まれました。
その風習が海を越え日本にも伝わると、
「父の日」には「黄色いバラ」を贈ることが定番になりました。
先程の「日本ファザーズ・デイ委員会」の
「父の日黄色いリボンキャンペーン」の一環です。
イギリスでは古来、
「黄色」は身を守るための色とされていました。
「黄色」がアメリカに渡って「黄色いリボン」となり、
「愛する人の無事を願うもの」となりました。
黄色にはステキな意味があります。
『うれしさ』『楽しさ』『暖かさ』『幸せ』
『富貴』『希望』『向上』などがそうです。
黄色を好む人の性格は 、
『世の中の人の役に立ちたいと願う豊かな心』
『喜びに溢れる快活な心』
『進歩的で未知な物を志向する心』
『新しいより良い可能性への道を求める心』
などを合わせ持った人が好む色と言われています。
「黄色いリボン」は国際的なシンボルです。
オリンピックの五輪のマーク(青・黄・黒・緑・赤)の
ように不変のものです。
「黄色」ということでその他には
「向日葵」や「ガーベラ」「ユリ」と言った花が
「父の日」には贈られています。
実際にもらって嬉しかった「父の日のプレゼント」を調査
6月15日に配信されたYahoo News
- 第1位:「お酒」 ・・・ 89票
- 第2位:「衣類」 ・・・ 40票
- 第3位:「財布」 ・・・ 24票
- 第4位:「食べ物」 ・・・ 22票
- 第5位:「ネクタイ」 ・・・ 20票
- 第6位:「旅行・旅行券」・・・12票
- 第6位:「靴」 ・・・12票
はてさて、何を贈りますか?