うまずたゆまず

コツコツと

毎年6月3日は雲仙・普賢岳の「いのりの日」

 
平成2(1991)年6月3日午後4時8分頃、
活発化していた「雲仙普賢岳」の
溶岩ドームが崩落し、
山体を猛スピードで駆け下りる
大規模な火砕流が発生しました。
 
長崎県島原市では
毎年6月3日を「いのりの日」とし、
犠牲者に向けた献花や黙祷が行われます。
 
 

雲仙普賢岳

雲仙普賢岳(うんぜんふげんだけ)とは
「雲仙岳」は、長崎県島原半島の中央部にある
20以上の山々からなる火山群の総称です。
 
「普賢岳」(ふげんだけ) は、
その「雲仙岳」の主峰の一つの活火山で、
標高は1,359mです。
平成2~7(1990-1995)年の噴火時に報道などで
「雲仙普賢岳」(うんぜんふげんだけ)
呼称されたことから、それ以後、
この名称が広く使われるようになりました。
 
日本初の国立公園
「雲仙国立公園」
実は「雲仙」は、昭和9(1934)年3月16日に、
瀬戸内海、霧島とともに
日本で最初に指定された国立公園の一つです。。
後に天草が加わり、昭和31(1956)年に
雲仙天草国立公園」となっています。

www.env.go.jp

 
雲仙は、江戸時代、唯一外国に開かれていた
長崎に近かったということもあり、
ケンペルやシーボルトといった外国人により、
欧州に紹介されていました。
明治になると、China大陸と日本を繋ぐ蒸気船の
「長崎・上海航路」が開設されると、
外国誌で雲仙が紹介されたこともあって、
China大陸に駐在していた多くの欧州人が
避暑を目的に雲仙やって来るようになり、
日本初の海外向けリゾート地として、
人気を博していきました。
 
明治44(1911)年には日本初の県営公園に、
大正2(1913)年には日本初のパブリックコース
として「雲仙ゴルフ場」がオープン。

www.unzengolf.com

 
昭和7(1932)年、外国人観光客誘致を目的に、
国策として外国人向けのホテル
雲仙観光ホテル」が開業しました。

www.unzenkankohotel.com

 
火山が創り出す荒々しい風景と、
周囲の緑豊かな自然、
海や島々も含めた景観の美しさに加えて、
避暑地・保養地としての高い国際的評価により、
昭和9(1934)年、「国立公園」指定へと
繋がっていったのです。
 
人気の高い観光地
「雲仙」は、温泉地としても
非常に人気の高い観光地でした。
雲仙地獄」には、
大小30カ所程の硫黄が噴き出す地獄があり、
その強烈な湯けむりと景色が
観光名所となりました。

www.nagasaki-tabinet.com

 
また「仁田峠」は、
春のミヤマキリシマ(ツツジ)と
冬の霧氷(花ぼうろ)が有名な
絶景スポットとして、
年間多くの観光客で賑わっていました。

www.shimakanren.com

 

噴火の歴史

「雲仙岳」は、約50万年前に誕生し、
角閃石に富む安山岩質マグマを噴出しながら
成長してきました。
有史以降、寛文3(1663)年、寛政4(1792)年、
平成2~7(1990-1995)年の3度、
噴火していますが、
いずれも「普賢岳」からの噴火でした。
 
特に寛政4(1792)年4月1日(西暦5月21日)の
噴火では、大地震によって、
城下町の背後にそびえる「眉山」(まゆやま)
突如崩壊して、3億㎥を超える土砂が
人家や田畑を埋め尽くすとともに、
有明海に向かって崩れ落ちました (眉山大崩壊)。
 
この衝撃によって巨大な津波が発生し、
対岸の肥前天草 (熊本県) へ襲いかかりました。
更に返し波が島原半島の沿岸18か町村に、
再度来襲して、広域災害の様相を呈しました。
津波による被害を含む死者約1万5千人は、
未だに記録に残る最大の火山災害で、
「島原大変肥後迷惑」(しまばらたいへんひごめいわく)
として伝承されています。
 

平成の大噴火

寛政4(1792)年の噴火以来、
「普賢岳」は穏やかな表情を続けてきました。
 
平成2(1990)年11月17日
水蒸気爆発
ところがそれから198年振りの
平成2(1990)年11月17日、
約1年間の前駆的な地震活動の後に
噴火が水蒸気爆発として始まりました。
噴火地点は、九十九島火口と地獄跡火口の
2箇所でした。
雲仙火山は、実際は、昭和43(1968)年頃より
活動期に入っていたことが判っています。
 
平成3(1991)年5月20日
溶岩ドーム形成
その後マグマ水蒸気爆発を経て、
平成3(1991)年5月20日に
溶岩ドームが初めて確認され、
以後激しい噴火に移行しました。
5月24日には溶岩ドームの溶岩塊の崩落により
普賢岳東斜面に初めて火砕流が発生。
以後、溶岩ドームが発達して崩落しては、
大小様々な規模の火砕流が頻発するように
なりました。
 
定点
平成2(1990)年11月から続いた
噴火活動において、島原市北上木場町には
普賢岳の火砕流を正面から撮影・観察しようと
多くのマスコミ関係者や
そのためのタクシー運転手が
集まっていました。
その中でも火砕流が正面に見られる位置は、
カメラを構えたマスコミで一杯になっており、
この位置は通称「定点」と呼ばれていました。
 
その下流には農業研修所があって、
地元の消防団が詰所として
滞在、地域の監視に当たっていました。
 
平成3(1991)年6月3日
大火砕流発生
平成3(1991)年6月3日、
15時30分以降、小・中規模の火砕流が頻発し、
15時57分に最初の大規模な火砕流が
発生しました。
 
そして16時頃、溶岩ドームが崩壊し、
それまでで最大級の火砕流が発生。
火砕流本体は水無川に沿って流れ下りましたが、
本体の上部は「火砕サージ」となって
通称「定点」一帯を襲いました。
「火砕サージ」とは、600℃以上という
高熱の火山ガスや火山灰が雲状になって
地表を時速100㎞を超える猛スピードで
流下する現象で、
発生してから逃げることは不可能です。
重い物質が主体である火砕流とは異なり、
ガス主体の希薄な流れであるため、
小高い丘や尾根を簡単に乗り越え、
猛烈な爆風と熱風により、
樹木や家屋を根こそぎなぎ倒し、
巻き込まれたものに壊滅的な被害をもたらします。
 
そのため「定点」にいた
消防団員、住民、マスコミ関係者など
40名が死亡、3名が行方不明、負傷者9人、
建物被害179棟という、
極めて悲惨な災害となってしまいました。
なお、この中には米国と仏国の火山学者3名も
含まれています。
 
その後の噴火活動
平成4(1992)年末には、
溶岩の噴出は一時ほとんど停止しましたが、
平成5(1993)年2月には復活しました。
6月23日の火砕流では、
島原市千本木地区の多数の家屋が焼失した他、
自宅を確認に行った市内の男性が死亡して
います。
 
この噴火では「火砕流」は計約6,000回発生し、
降雨時の「土石流」にも見舞われました。
火砕流や土石流による家屋被害は2,511戸にも
上りました。
 
噴火活動の終息宣言
平成7(1995)年2月、溶岩ドームの成長が停止。
平成8(1996)年6月3日に、
「雲仙普賢岳」の噴火活動の終息が
宣言されました。
 
ですが、地震や大雨による溶岩ドームの崩壊や
土石流の危険性もあるため、
現在も監視活動や砂防事業が続けられています。
 
被害状況
噴火災害における被害は、以下の通りです。
死者・行方不明者 44人
(うち3人は行方不明者)
建物被害 2,511棟
(うち住家1,399棟)
被害額 約2,299億円
溶岩総噴出量 2億㎥
火砕流
発生回数
9,432回
(H3.5-H8.5)
土石流
発生回数
62回
(H3.5.15-H12.3.31)
土石流による
総流出土砂量
約760万㎥
 

平成新山

溶岩総噴出量は2億㎥で、
そのうちの半分は
崩落して火砕流堆積物となりましたが、
残りの半分は複数の溶岩体(ローブ)や
破砕溶岩丘を形成して、
最終的には一つの巨大な溶岩ドームを
形成しました。
雲仙普賢岳では、平成3(1991)年5月20日に
最初の溶岩ローブが出現し、
平成6(1994)年7月12日までに
第13の溶岩ローブが確認されています。
 
平成8(1996)年5月20日、
島原市と小浜町(現・雲仙市)は
この溶岩ドームを「平成新山」と名付け、
長く続いた災害と新たな復興の記念と
しました。
 
1995年5月現在、溶岩ドームの最高点の標高は1488mで普賢岳より138m高い。
また長さは約1000m、中央部付近の平均的な厚さは150m、体積は約1億㎥
なお「平成新山」の標高は、
平成7(1995)年6月の1488mをピークに、
国土地理院火山基本図によると
現在はやや縮小して1482.7mです。
 
平成16(2004)年4月5日には、
「平成新山」は国の天然記念物に
指定されています。
 
平成19(2007)年には、日本の地質百選に
「雲仙」として選定されています。
 
平成21(2009)年8月22日には、
日本初の世界ジオパーク
「島原半島ジオパーク」に認定されました。
 

雲仙岳災害記念館

平成14(2002)年7月1日、
「雲仙普賢岳」の噴火災害で得られた
研究成果や災害を後世に伝えるため、
土石流の被害の中心であった安中地区に
開業しました。
 
令和元(2018)年に展示リニューアルし、
4K映像で見られる「平成大噴火シアター」や
ドローン映像で上空から
「平成新山」などを観察出来る
「雲仙岳スカイウオーク」、
ジオラマの上を立体的に火砕流が流れる
「平成噴火ジオラママッピング」など、
展示を更に充実させています。

udmh.jp

 

いのりの日


長崎県島原市では、
死者・行方不明者43人を出した
「大火砕流」が発生した日、
毎年6月3日を「いのりの日」と定めて、
現地の慰霊碑や関連施設で
追悼の祈りが捧げられています。
 
また仁田団地第一公園には
「雲仙普賢岳噴火災害犠牲者追悼之碑」が
島原復興アリーナ近くには
「消防殉職者慰霊碑」があります。