
庶民の日常の信仰対象として、
最も身近にあって親しまれてきたお地蔵様。
正式なお名前は「地蔵菩薩」(じぞうぼさつ) と
言います。
「地蔵菩薩」の功徳や信仰を説く
『地蔵経典』(じぞうきょうてん) は、
奈良時代には
日本に存在していたとされていますが、
信仰としては殆ど広がりませんでした。
平安時代になると、末法思想・浄土信仰とともに
広がりをみせます。
特に11世紀に『地蔵菩薩霊験記』編纂以降は、
浄土に往生出来ない者は
必ず地獄へ落ちると考えられる様になり、
地獄における衆生の苦しみを救う存在として、
「地蔵菩薩」の存在感が大きくなり始めます。
そして地獄で苦しみを代わりに受けてくれる
「地蔵代受苦」(じぞうだいじゅく) の信仰が
強まることとなりました。
そしてその過程で、お地蔵様は菩薩の形から
額に白毫 (びゃくごう) を頂き、
左手に宝珠 (ほうじゅ) を持ち、
右手に錫杖 (しゃくじょう) を携えた僧侶の姿へと
変わっていきました。
中世に入ると、浄土信仰の影響もあり、
「六道」で苦しむ人々を救済する
「地蔵菩薩」への信仰が庶民の間でも
広まりました。
鎌倉時代には、混沌とした世相の中で
人々を災難から救うために
身代わりとなってくれる、
あるいは危機を救う存在として
「身代わり地蔵信仰」が広く発展し、
現世利益の仏として
各地で様々なお地蔵さんが祀られて、
信仰の対象となりました。
室町時代には「六地蔵信仰」が爆発的に広がり、
地獄の入口を村境に当てはめて、
日本古来よりの「道祖神」(どうそしん) と習合して
発達していきます。
また地獄に落ちる者が、主として
祀ってくれる子孫を持たない無縁の霊、
未婚のまま死んだ人の場合が多かったために、
「地蔵」と「子供」の霊とが結びついて、
地蔵を子供の神様とする理解が強くなりました。
親の願いを受けて、
幼い子がすくすく育つように
無事の成長を見守り続ける一方で、
幼く亡くなった子供の、
あの世で現世の親の代わりとなって、
この世に未練を残すことないよう
成仏出来るように導くとされています。
江戸時代になると、
「身代わり地蔵」信仰が更に発展して、
多くの民衆に信仰されて、
泥付地蔵 (田植え)・矢取地蔵・縄目地蔵・
化粧地蔵・首きり地蔵・延命地蔵・子育地蔵・子安地蔵・腹帯地蔵・水子地蔵・汗かき地蔵・
くぎ抜き地蔵・とげぬき地蔵など、
全国各地に伝承の地蔵菩薩が誕生しました。