うまずたゆまず

コツコツと

1月9日夜から10日午前6時まで「西宮の居籠」(にしのみやのいごもり)

 

西宮神社について

兵庫県西宮市の「西宮神社」は、
全国に約3500社ある
福の神として崇敬されている
「えびす様」をお祀りする神社の総本社です。

nishinomiya-ebisu.com

えびす神
伊邪那岐命いざなぎのみこと伊邪那美命いざなみのみことの間に生まれた
最初の子「蛭子命」(ひるこのみこと) は、
不具であったため、
葦舟に乗せられ海に流されます。
 
「西宮神社」の伝説によると、
海に流された「蛭子命」は海を漂った後、
摂津国西の浦の海岸に漂着します。
土地の人々は「蛭子命」を大事に養い育て、
「夷三郎」(えびすさぶろう) 殿と呼び、
後に「夷三郎大明神」(えびすさぶろうだいみょうじん)
「戎大神」(えびすおおがみ) と崇められ、
海の神として信仰されるようになり、
豊漁や航海安全、交易の守護神として
祀られるようになりました。
 
傀儡師集団
「えびす信仰」が全国に広がった理由として、
西宮神社に所属する人形操りを特技とする
「傀儡師集団」(くぐつししゅうだん) の存在が
大きいと言われています。
 
この「傀儡子集団」は日本各地を巡り歩いて、
「えびす神」の神徳や縁起をテーマにした
「夷舁き」(えびすかき)、「夷舞」(えびすまわし)
呼ばれる興行を行いました。
そして興行が終わった後は、
「西宮太神宮神符」(にしのみやだいじんぐうしんぷ)
というお札を配り、
「えびす神」を大いに宣伝しました。
 
その結果、海・漁業の神としてだけでなく、
都市部では商売の神として、
農村では農業守護の神としても
信仰されるようになりました。
 
西宮太神宮神符
更に第4代将軍・徳川家綱公の時代、
「西宮神社の頒布するものが、
 えびす神の正式なお札である」として、
江戸幕府に版権を与えられると、
各地にお札配布の免状を持った願人が配置され
「えびす神」全国で広く信仰されるようになり、
西宮神社はえびす神の総本社となりました。
 

西宮の居籠
(にしのみやのいごもり)

「十日戎」(とおかえびす)の宵戎の風習で、
9日の深夜12時には全ての神門が閉ざされ、
神官全員は、9日夜から10日午前6時まで
「居籠」(いごもり) に入り、
「十日戎祭」に向けて
謹慎潔斎して心身の準備を行います。
鎌倉時代の記録にも残る古くからの神事です。
 「居籠」(いごもり)
 穢れ (けがれ) に触れないように
 物忌みをして家内に閉じこもること。
 
 
明治中期までは、氏子の間でも、
西宮の御神体である「夷神」(えびすがみ)
広田神社に神幸する姿を見てしまうことを
忌み、外へ出ることを慎んだそうです。
 
夕方になると家に籠もって、
門松の葉がえびす神を傷つけないように
逆さに立て枝葉を縄で縛り(「逆さ門松」)、
夜間には門戸を閉ざして、
灯を消して物音を立てぬよう忌み籠り、
お通りになるえびす様を静かに
お迎えしました。
そして10日午前6時に表大門(赤門)が開かれると
真っ先にお参りしようとして
人々が競うように参道を急いだそうです。
これが「開門神事」(かいもんしんじ) の由来で、
自然発生的に始まったもので、
江戸時代には始まっていたそうです。
 
そして昭和15(1940)年頃から、
本殿下へ早く到着した順に
一番から三番までがその年の
「福男」(ふくおとこ) として認定されるようになり
現在は、認定証・御神像・副賞そして
特別の半被が授与されるそうです。
 

www.linderabell.com