うまずたゆまず

コツコツと

昭和38(1963)年6月5日「黒部ダム」完成

 

昭和38(1963)年6月5日、7年の歳月をかけて、
「黒部ダム(黒部川第四発電所)」が
完成しました。
 
日本経済復興の本格化に伴い
急速に拡大した電力需要に応え、
今日まで関西圏を中心とする
重要な電力源として活躍し続けています。
 
 

黒四(くろよん)以前

北アルプスの雪どけ水で
水量が豊富かつ急流な黒部川は、
水力発電適地として戦前から3つの発電所が
建設されていました。
 
高峰譲吉
 
まず最初に黒部川一帯の
電源開発に取り組んだのは、
世界的な化学者の高峰譲吉でした。
高峰は、日本の発展には、
産業用アルミニウムの国内生産が急務と考え、
「東洋アルミナム」を設立。
アルミニウム精錬には莫大な電力が必要なので
「黒部川」に発電所を建設することを目指し、
土木と電気の知見のある優秀な技術者の
山田胖 (やまだゆたか) に、
人が近づくことの出来ない秘境で、
技術的にも開発が困難であった
黒部川の調査にあたらせました。
山田は、黒部川全流域を隈なく調査し、
電源開発の可能な地点を明らかにして、
黒部川電源開発計画の全体像を
作り上げました。
 
「黒部鉄道」敷設と
「宇奈月温泉」
大正9(1920)年2月に水利使用の許可が下り、
大正10(1921)年には「東洋アルミナム」の
子会社として「黒部鉄道」が設立され、
三日市駅(現・あいの風とやま鉄道黒部駅)から
線路を引く工事が始まりました。

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すると地元住民からは
「貨物専用ではなく、
 一般客も乗れるようにして欲しい」という
要望があったことから、
旅客・貨物兼用鉄道として工事を進めることに
しました。
 
 
また同じ頃、地元の温泉地から起こっていた
黒部川の水位低下を心配した
「ダム建設反対運動」に考慮して、
東洋アルミナムはこれらの温泉を買収し、
「黒部温泉会社」を設立。
反対運動に終止符を打つと同時に、
宇奈月温泉」開発の方針が決定されました。
 
いよいよ計画が動き出そうとしていた矢先、
第一次世界大戦後の不況による
アルミの供給過剰による製造断念と、
大正11(1922)年、高峰の逝去により、
電源開発事業は「日本電力」に引き継がれ、
山田も移籍して現場監督を務めることに
なります。
 
電源開発以外の事業に乗り気ではない
「日本電力」に対し、山田は、
地元民の保養地としてでなく、
工事関係者の厚生娯楽施設の必要性や、
温泉地のリゾート化による繁栄を提案し、
会社幹部を説得。
温泉地開発のための土地の買収や
都市計画などが進められていきました。
大正12(1923)年11月末、熱い湯の引湯に成功し,
宇奈月は「宇奈月温泉」としての
記念すべき第一歩を踏み出しました。
 

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弥太蔵発電所
大正12(1923)年12月には、
黒部川での電力開発の電力源となる発電所
「弥太蔵発電所」を完成させ、
資材運搬用の軌道(現在の「黒部渓谷鉄道」)
敷設工事を開始しました。
 
黒部川第一発電所
「柳河原発電所」
 
周囲を3000m級の山々に囲まれ、
最も深い場所では2000mの断崖絶壁がそびえ
底なしの谷を形成している「黒部渓谷」には、
豊富な雪解け水が急流となって流れ込むため、人間が近づけない、運べない、住めない、
近代まで未開の秘境とされてきました。
 
様々な苦難を乗り越え、遂に昭和2(1927)年、
黒部川で初めての本格的な水力発電所となる
「柳河原発電所」(やながわらはつでんしょ)
完成しました。
正式な名称ではないものの、
実質的な「黒部川第一発電所」でしたが、
平成4(1992)年に廃され、
現在はダム湖に沈んでいます。
 
黒部川第二発電所と
「小屋平ダム」
 
昭和9(1934)年、立山・黒部一帯が
「中部山岳国立公園」に指定されると、
国立公園に相応しいものにするために、
昭和11(1936)年完工の「黒部川第二発電所」と
「小屋平ダム」(こやだいらダム) は、
日本の近代を代表する建築家の山口文象が
装飾を極力省き、機能性や合理性を重視した
インターナショナルスタイル(国際様式)を
取り入れた洗練されたデザインで設計。
建築史上でも重要な位置づけにある
現役の近代土木遺産となりました。
「富山の建築百選」に選ばれています。
 
黒部川第三発電所と
「仙人谷ダム」
 
宇奈月を出発する「黒部専用鉄道
(現・黒部峡谷トロッコ電車)」は徐々に延伸され、
昭和12(1937)年には、欅平までの全線が開通。
建築資材の輸送が効率化されたことで、
黒部川上流域の電源開発は加速します。
 
「仙人谷ダム」(せんにんだにだむ) は、
欅平の「黒部川第三発電所」で発電するため
黒部川に建設されたコンクリートダムで、
当時の労働者の平均月収の10倍以上の給金で
作業員が駆り集められ工事を開始し、
人海戦術で突貫工事が進められました。
 
ところがこのダムへの物資輸送のために、
標高約1000mの絶壁に設けられた水平歩道では
歩荷の転落事故が日常的に発生しました。
 
 
またダム建設地までの物資輸送路として、
竪坑エレベーターや
水路トンネル(隧道)も造られたのですが、
トンネル掘削の際の岩盤の温度が
史上類を見ない摂氏166度にも達するという
過酷な環境で行われたことから、
このトンネルは「高熱隧道」と呼ばれました。
 
また昭和13(1938)年12月、泡雪崩 (ほうなだれ)
コンクリート造りの工事宿舎を直撃し、
2階以上を根こそぎもぎ取り、
宿舎にいた作業員がそのまま吹き飛ばされ、
近くの谷を越えた対岸の岩壁に激突し、
84名の死傷者を出す大惨事となりました。
また隧道貫通後の昭和15(1940)年の泡雪崩では
26名の死者を出しました。
高熱隧道掘削や泡雪崩も含めた犠牲者は、
全工区で300人余りに及ぶ難工事となりました。
「泡雪崩」(ほうなだれ) とは、
水分をほとんど含まない軽い乾いた雪が
急斜面を滑り落ちる際、
大量の雪煙を伴って爆風(衝撃波)を
引き起こす大規模な雪崩のことです。
時速200〜360km以上の猛スピードで移動し
強烈な空気の渦が周囲の樹木や建物を破壊
します。
 
そうして昭和15(1940)年、
「仙人谷ダム」は完成し、
黒部川第三発電所が発電を開始しました。
なお「仙人谷ダム」は、土木学会の
「日本の近代土木遺産―
 現存する重要な土木構造物2000選」及び、
経済産業省の「近代化産業遺産」に
認定されています。
 

「黒四」(くろよん)

名称
そして4番目に造られたのが
「黒部川第四発電所」で、
その水力発電専用のダムとして建設されたのが
「黒部ダム(黒四ダム)」で、
「黒部川第四発電所」と「黒部ダム」は
一体となって「黒四(くろよん)」と総称されて
います。
当初はダム自体には正式名称はなく、
発電所が「黒部川第四発電所」であったため
「黒部第四ダム」略して「黒四ダム」と
呼ばれています。
後に正式名称が「黒部ダム」となりました。
そしてダムによって堰き止められた
日本屈指の規模を誇る人造湖は
黒部湖」と呼ばれています。

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「黒部川第四発電所」の特徴
「黒部ダム(黒四ダム)」の10㎞下流にある
「黒部第四発電所」は
地下200mの巨大な地下空間に
発電所や開閉所など全建物を収められています。
このような全地下式の巨大発電所は
世界でも例がないとされています。
 
このように地下化することによって、
急峻な地形に影響される外部とは違って
自由に建物を配置することが出来る他、
国立公園の自然景観保護や
雪崩などの雪害回避、冬季の工事続行が
可能になっています。
 
「黒部ダム」の特徴
高さ186m、長さ492m、総貯水量約2億㎥の
日本一の「アーチ式ダム」です。
「アーチ式ダム」としては
世界トップクラスの規模を誇ります。
 
総貯水量は約2億㎥ (東京ドーム約161杯分) で、
「黒部ダム」からの貯水が
取水口から地下水路を高低差545.5m流れ下り、
「黒部川第四発電所」に送られ、
最大33.7万kWを発電します。
これは、一般家庭の使用電力
(1世帯当たり平均400~500kWh/) に換算すると
約8万世帯分の電力を賄える規模です。
 
当時の技術の粋を集めて建設された「黒四」は
現在も産業と暮らしの発展に貢献し続けて
います。
 
黒部ダムの基本データ
・正式名称:黒部ダム(黒四ダム)
・所在地 :富山県立山町
・完  成:昭和38(1963)年6月5日
・高  さ:186m(日本一のアーチ式ダム)
・長  さ:492m
・総貯水量:約2億㎥(東京ドーム約161杯分
・発電方式:水力発電(黒部川第四発電所他)
・最大発電量: 33.5万kW 〜 33.7万kW
 
観光名所
 
「黒部ダム」は「発電所」でありながら、
年間100万人以上が訪れる観光名所でもある
「電源開発」と「観光」が共存している
珍しい例です。

www.kurobe-dam.com

 
「黒部ダム」では、
黒部峡谷の景観維持を目的に、
毎年6月26日〜10月15日に
毎秒10t以上の「観光放水」が行われています。
運が良ければ、放水にかかるキレイな虹を
見ることも出来るそうです。
ただ天候などにより、
放水が中止される場合もあります。

www.kurobe-dam.com

 
「黒部ダム駅」から220段の階段を登った所には
「黒部ダム」を見下ろせ、
立山連峰まで一望出来る展望台があります。
名物「黒部ダムカレー」があります。
エメラルドグリーンの「黒部湖」を表した、
緑色をしたカレーです。
なおピリ辛が苦手な子供には
甘口の「お子様ダムカレー」もありますよ。

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発電施設が関西電力へ移管
「日本電力」は、昭和14(1939)年に設立した
国策企業の「日本発送電株式会社」に
統合されました。
 
この「日本発送電株式会社」は
戦後まもない昭和26(1951)年に解体され、
現在に至る全国9つの電力会社が発足しました。
 
そして黒部川上流の発電施設は
「関西電力」に移管されました。
 
戦後の電力不足の深刻化
第二次世界大戦下、日本の電力供給は、
戦災によって発送電設備は
大きな打撃を受けたことにより
激減してしまいました。
 
昭和25(1950)年の朝鮮戦争による特需、
翌昭和26(1951)年からの渇水や石炭不足により、
電力が不足し停電が頻発。
電力供給の確保が急務となりました。
 
この深刻な電力不足を解消するため、
各電力会社は、
大規模火力発電所を建設して
通常時の需要に対応するとともに、
ピーク時の供給力として水力発電所を
開発しました。
 
関西電力もこの危機を乗り越えるため、
最新鋭の火力発電所を導入しましたが、
火力発電は需要の変動に
柔軟に対応することが難しいため、
大規模な水力発電所が構想されました。
そして社運をかけて建設をしたのが
「黒部ダム」と「黒部川第四発電所」でした。
 
昭和31(1956)年に実施が決定。
当時の土木建設技術、水力発電技術の
粋を集めた大プロジェクトの工費は、
当時の金額で513億円。
関電の年間電気収入の約半分に当たり、
現在の貨幣価値だと1兆円を超えます。
工事資金の調達に際し、世界銀行から
3700万ドル (133億2000万円) の借款を
得ました。
 
自ら陣頭指揮を執った
関西電力の太田垣士郎社長は、
「経営者が十割の自信を持って取り掛かる事業、
 そんなものは仕事に入らない。
 七割成功の見通しがあったら
 勇断をもって実行する。
 それでなければ
 本当の事業はやれるものじゃない」
と述べました。
 
「黒四ダム」と「黒四発電所」の建設分担は、
第1工区(黒部ダム・取水口・導水トンネル・
関電トンネル・御前沢渓流取水工事)は間組、
第2工区(骨材製造工事)で鹿島建設、
第3工区(関電トンネル・黒部トンネル・
導水路トンネル工事)は熊谷組、
第4工区(黒部トンネル・導水路トンネル・
調圧水槽・トラムウェイ・ロープウェイ工事)は
佐藤工業、
第5工区(水圧鉄管路・インクライン・
黒四発電所・変電所開閉所・放水路・
上部軌道トラムウェイ・ロープウェイ工事)は
大成建設がそれぞれ請負い、
昭和31(1956)年に着工されました。
 
工事は難局の連続でしたが、
最大の難所は、
「大町トンネル」掘削工事における
破砕帯 (はさいたい) の突破でした。
・「大町トンネル」とは、
 膨大な資機材を運搬するため長野県側から
 北アルプスを貫くトンネル
・「破砕帯」とは、
 岩盤の中で砕けた岩の隙間に
 地下水を大量に含んだ軟弱な地層
 
「破砕帯」に10本の水抜き用トンネルを掘って
湧水の量を減らし、
セメントと化学薬液を混合して注入する
ハイドロック法を用いて岩盤を強化しながら
トンネルを造って行くのですが、
非常に脆く、地下水をスポンジのように
大量に含んでいることが多い
「破砕帯」にぶつかると、
湧水が滝のように流れ出て来たり、
土砂崩れを引き起こしやすなるため、
「破砕帯」の突破には約7ヶ月を費やし、
最終的には、171人の殉職者を出すことに
なりました。
 
こうして「黒四(くろよん)」は、
昭和31年の着工後、約7年の歳月を費やし、
延べ1000万人の労力と513億円を投じて、
昭和38年6月5日に完成しました。
 
映画『黒部の太陽』
世紀の難工事と言われた黒部ダム建設、
特に関電トンネルでの苦闘を描いた
『黒部の太陽』が
三船敏郎・石原裕次郎という
日本を代表する二大スターによるW主演で
昭和43(1968)年2月17日に公開されるやいなや、
観客動員733万人の大ヒットとなりました。
 
主演の一人、三船敏郎は
「求めて苦労しようとは思わぬ。
 しかし、人間は求めてでも
 苦労しなければならない時もある。
 この映画をプロデュースするに際して、
 私はそのような厳しさをひしひしと味わった」
更に、
「日本人のタマシイ-勤勉、勇気、根性、
 人間愛といった日本人の素晴らしさを
 描きたかった」と語っています。
 
 
黒部川電気記念館
世紀最大の工事と言われる黒部川の電源開発や
黒部峡谷の豊かな自然、水力発電の仕組みを
学べる記念館です。
令和5(2023)年3月にリニューアルオープンし、
プロジェクション映像やジオラマ模型など、
最新技術を使ったダイナミックな展示が
見どころです。
 

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