
旧暦の「重陽の節句」は、
作物の収穫時期と重なるため、
古くから庶民の間では
「栗の節句」(くりのせっく) と言って、
「栗ご飯」を食べました。
現在の「重陽の節句」には、
せいぜい菊の花を生けるくらいのもので、
何か特別な行事や行事食はありません。
ですが江戸時代の各種の歳時記によれば、
旧暦の「重陽の節句」(令和7年10月29日)の頃は
栗が食べ頃になるので、
9月9日には「菊酒」を飲み、
栗を食べたり贈答する風習があって、
「栗の節句」とも呼ばれていたそうです。
天明3(1783)年に麁文 (そぶん) という人によって
刊行された『華実年浪草』(かじつとしなみぐさ )
という季語の解説書には、
「菊の節句、栗の節句…地下(じげ) (庶民)
良賤親戚朋友互に栗を贈り菊花酒を飲む。
故に或は菊の節句といひ、
或は栗の節句といふ」と記されています。
安政2年から文久元年(1855-61)まで
大坂町奉行に在職していた
久須美祐雋 (くすみすけとし) が見聞した
大坂の人情・風俗・物産・食物などについて
書き記した『浪花の風』という随筆には、
栗・柿・葡萄・松茸の煮物や鱧を食べると
記されています。
『年中恒例記』にも、
「菊の被綿」の記述に続いて、
9日には「菊酒」を飲み、
焼栗を9個入れた粥を食べると記されています。
