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「七夕」の日に行なわれていたもう一つ重要な年中行事「井戸浚い」(いどさらい)

 

江戸時代、「七夕」の日には、
「井戸浚い」(いどさらい) という
もう一つ重要な年中行事が行われていました。
 
 

「井戸浚い」とは?

「井戸浚い」(いどさらい) とは、
井戸の大掃除のことです。
 
「井戸浚い」は江戸中で一斉に行われました。
江戸の井戸はほとんどが「共同井戸」。
更に、江戸の井戸は、
普通の井戸のように地下水を汲むのではなく、
「神田上水」「玉川上水」からの水が
地下に張り巡らされた
石樋 (せきひ) や木樋 (もくひ) の中を流れて、
大きな桶に溜まった水を地上から汲み上げて
使っていました。
 
このような井戸は、江戸時代の中期頃には
江戸市中にほぼ20から30m四方に
1か所の割合で設置されていて、
当時の江戸の人口100万人のおよそ6割の人々が
この水道井戸を利用して暮らしていました。
江戸の町を形成した土地のほとんどが
海岸に近い埋立地だったため、
井戸を掘っても地下水に塩分を含んでいて
飲み水(生活用水)に利用出来ませんでした。
 
このように、当時の江戸の井戸は
全て地下で繋がる仕組みであったため、
街中の井戸を一斉に掃除しなくては
あまり意味がありませんでした。
水が運ばれる途中に汚れた場所があれば、
その先の部分の水も
もれなく汚染されてしまうからです。
 
住人全員が安心・安全な水を得るためには、
井戸システム全体の大規模清掃が必要だったと考えられます。
「暑い盛りに清潔な水を飲み続けるための、
 年に1度のメンテナンス」だったのです。
 
その井戸に毎日お世話になっている住民は、
旧暦の7月7日を「井戸の大掃除の日」と決め、
竹を飾る前に一致協力して
「井戸浚い」(いどさらい) をしました。
 

「井戸浚い」のやり方

 
1年に1度、旧暦の7月7日、約一日半かけて
大家の指示の下、「井戸浚い」が行われました。
 
 
井戸の蓋を外したら、
井戸の水を大方汲み出した後、
今度は中に入って掃除しました。
 
 
深い井戸に潜って作業をするのは、
かなり危険な作業でもあることから、
当時の江戸には、井戸浚い専門の職人も
多くいました。
住人総出で水を汲み出した後、
井戸職人が井戸の中に入って
底に溜まった落ち葉などのゴミを取り除き、
井戸の内側を隅々までキレイに洗浄しました。
 
 
清掃が終わった後は、
井戸の神様に御神酒を供え、
穢れを祓いました。
 

なぜ七月七日なのか?

それではなぜ「井戸浚い」を
「七夕」の7月7日に行ったのでしょうか?
それは「七夕」本来の意味が、
数日後にやって来る「お盆」に向けての
祓いの儀式でもあったからだという
説があります。
「井戸浚い」は、大切な水を清める儀式
だったのです。
 
現実的には、本格的な夏が到来すれば、
伝染病が蔓延するリスクがあります。
伝染病を恐れた人々は
水を介して疫病が広がるのを防ぐために
雑菌が繁殖するこの季節を選んだのだろうと
思われます。
 

水銀(みずぎん)

 
ところでこの「水道井戸」を使う場合は
現代と同じように料金を支払う必要が
ありました。
この水道料金は「水銀」(みずぎん) と呼ばれ、
武家は「碌高」(ろくだか) の額、
家持ちの町人は表通りに面した敷地の広さによって支払う金額が決められていました。
 
一方、長屋の住人達の水道料金は、
長屋の戸数に応じて大家が負担をしました。
この「水銀」は大家に負担が大きかったため、
「火事」「祭礼」と合わせて
「地主の三厄」と呼ばれていました。
 
「長屋」の店賃には
水道井戸の使用料金も含まれており、
年に1度は「井戸浚い」をするのが
決まりでした。