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ひな祭りの定番 ♪ 童謡「うれしいひなまつり」


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雛祭りの歌の定番と言えば、
童謡『うれしいひなまつり』ですね。
サトウハチロー(別名:山野三郎)の作詞に、
河村直則(河村光陽)が日本独自の陰施法を
用いたメロディーをつけ、
日本情緒溢れる童謡が出来上がりました。
 
この童謡は昭和10(1935)年頃に作られ、
その翌年の昭和11(1936)年2月に、
日本ポリドールから
『嬉しい雛まつり』というタイトルで
作曲者・河村直則の娘で
童謡歌手の河村順子の歌で、
レコードが発売されました。
 
 
平成19(2007)年には、
文化庁とPTA全国協議会が選んだ、
「日本の歌百選」にも選ばれ、
今もなお多くの人に歌い継がれている
定番曲となっています。
 
 


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1番の歌詞

 
あかりをつけましょ ぼんぼりに
お花をあげましょ 桃の花
五人囃子の 笛太鼓
今日はたのしい ひな祭り
 
雪洞 (ぼんぼり) に明かりを灯し、
桃の花を飾る雛祭り定番の情景が
描かれています。
 
ぼんぼり
 
歌詞に登場する「ぼんぼり(雪洞)」とは、
長い柄のついた燭台に
和紙や絹を貼った覆いをつけた灯り具です。
「ぼんやり」と優しく柔らかい光を灯す
様子から「ぼんぼり」となりました。
 
桃の花
 
昔から女の子の健やかな成長と長寿を願い、
桃の節句(旧暦3月3日頃)の頃に咲く
ピンクの花を雛人形と一緒に飾りました。
 
五人囃子の笛太鼓
楽器の演奏や謡によって場を盛り上げ、
これからいよいよ雛祭りが始まる
楽しい予感を感じさせてくれます。
 

二番の歌詞

  お内裏様と おひな様
  二人ならんで すまし顔
  お嫁にいらした 姉様に
  よく似た官女の 白い顔
 
お姫様とお殿様がすました顔で並んでいて、
三人官女の一人は
(作詞者の)嫁いだお姉さまに似て
色白な顔をしているようです。
 
「お内裏様とお雛様」は間違い
 
男雛は「お内裏様」、女雛は「おひな様」と、
多くの日本人が認識していると思いますが、
それはこの「うれしいひな祭り」の
2番の歌詞によるところが
大きいのではないでしょうか。
ですが本来は「お殿様とお姫様」と呼ぶのが
正しいそうです。
 
そもそも、「お内裏様」とは、
「男雛」(おびな) と「女雛」(めびな)
男女一組のお雛様のことを指します。
そして「お雛様」とは全ての人形のことを
指すのです。
ですから「お内裏様とお雛様」という言い方は
変なのです。
 
お嫁にいらした姉様
 
歌詞の中にある「姉様」は、
サトウハチローの実姉と言われています。
幼少の頃、怪我により外で活発に遊べなかった
サトウハチローにとって、姉は良き友人であり
ピアノの師でもありました。
 
しかしその姉は嫁ぎ先が決まった直後、
結核によって18歳で亡くなってしまいました。
せめて歌の中で姉を嫁がせてあげようという
鎮魂の思いを込めて、
この歌を作ったと言われています。
 
 
「よく似た官女の白い顔」とは、
化粧をして白い顔をしているのではなく、
結核が進行してしまった姉を
イメージしたのではないかと言われています。
 

三番の歌詞

 金のびょうぶに うつる灯を
 かすかにゆする 春の風
 すこし白酒 めされたか
 あかいお顔の 右大臣
 
金の屏風に映った灯りの光が、
そよぐ春風に揺らめいています。
右大臣は赤ら顔をしていて、
お酒を飲んで酔っ払っているようです。
 
「赤いお顔の右大臣」も間違い
雛壇の四段目の「随身」(ずいしん)
左側(向かって右側)には
少し赤ら顔の老人の「左大臣」が、
右側(向かって左側)には
白く凜々しい顔つきの若者の「右大臣」が
並んでいます。
つまり「赤いお顔」なのは
「右大臣」ではなく「左大臣」なのです。
雛人形の左右は、お内裏様から見た左右です。
 
このような歌詞の誤用のためでしょうか、
サトウハチロー本人は晩年まで
この歌を嫌っていたと言われています。
 
すこし白酒 めされたか
「白酒」は、蒸したもち米に
味醂(または焼酎・米麹)を加え、
数週間後に臼で引きおろして作られる、
アルコールは10%前後もある
酒税法上のリキュールに該当するものです。
 
 
似たものとして「甘酒」がありますが、
これは「白酒」とは別物で、
ご飯やお粥などに米糀を混ぜて保温し、
米のでんぷんを糖化させたもので、
アルコールを含まない甘い飲み物です。
 
大人は「白酒」、子供は「甘酒」で、
桃の節句を楽しくお祝いして下さい。
但し子供も大人も飲み過ぎないように!
 

四番の歌詞

 着物をきかえて 帯しめて
 今日はわたしも はれ姿
 春のやよいの このよき日
 なによりうれしい ひな祭り
 
三番までは飾られた雛人形の様子を
歌っていましたが、
四番では雛祭りの主役である女の子に
視点が移ります。
 
 
桃の花が咲く春の麗らかな日に
家族が揃ってお雛様を囲み、その中で
可愛らしい着物を着た子供がはしゃぐ、
そのような情景を想像出来る歌詞です。
 
 
この歌が作られた当時、
サトウハチローは子供を引き取って
離婚したばかりでした。
淋しい思いをさせたお嬢さんに
雛人形セットを買って、
しばし楽しい時を過ごしたその様子を
歌にしたと言われています。
この時離婚したのは最初の妻 佐藤くらです。
居所も定まらない息子を心配した父の勧めで
大正11年、ハチローが19歳の時に
2人は結婚して、西巣鴨に家庭を構えました。
くらとの間には子供も生まれ、ハチローは
詩人として仕事も始めていましたが、
ハチローにとっては自由に仲間達と
過ごす時間の方が愉しいらしく、
また女優の歌川るり子や江川蘭子と
同時並行で恋仲となり、このことは、
半ば公然と周囲の人にも知られていました。
都新聞がハチローがるり子と新しい所帯を
持ったため、蘭子が憂鬱になっていると
伝える記事を掲載。
西巣鴨の本宅でこの記事を読んだくらは、
「私という本妻がいるのに」と呟き、
昭和9(1934)年10月、くらとハチローは正式に
協議離婚しました。
るり子はその後、懐妊したこともあって
ハチローの妻として正式に入籍。
先妻くらの子も引き取って一緒に暮らし、
欄子も関係も続きました。
 

作詞者 サトウハチロー

 
サトウハチローは、詩人・童謡作家として
「うれしいひなまつり」の他にも、
「リンゴの唄」「ちいさい秋みつけた」など
数々の名作を残してきました。
 
 
本名は「佐藤八郎」。
明治36(1903)年)に東京で生まれました。
父親で作家の佐藤紅緑への反発から、
中学を落第、退校、勘当、留置場入りを
重ねるなど荒れた生活を送りましたが、
父の弟子の詩人 福士幸次郎に影響を受け、
彼の紹介で西條八十に弟子入りすると、
熱心に童謡の作詞を作り始めます。
佐藤紅緑の長男ハチローを始めとする
4人の息子達は全て道楽者の不良青少年で、
紅緑家の食客であった弟子の福士幸次郎は、
紅緑の家庭内の事件の度にその収拾のために
奔走しました。
ハチローは詩人として成功しましたが、
他の3人は乱脈な生活を続けた破綻者となり
破滅的な死を迎えました。
紅緑は生涯、彼らの借金の尻拭いをし続けた
のでした。
 
 
するとその才能は一気に開花し、
次々と作品を発表していきます。
更に1930年代に入ると、作詞だけでなく
小説や映画音楽の作詞も担当するように
なります。
 
 
終戦後に大ヒットした
「リンゴの唄」を作詞したことで、
有名作詞家として日本中に名を馳せます。
童謡、歌謡曲、校歌、CMソングなどの作詞、
ユーモア小説、少年少女小説、随筆集など
様々な作品を生み出しました。
 
 
童謡・歌謡曲
- 童謡 -
秋の子、お山の杉の子、ちいさい秋みつけた、
かわいいかくれんぼ(作曲:中田喜直)、
めんこい仔馬(作曲:仁木他喜雄)、
スカンクカンクプー、子狸ポポンコの話、
アイウエオの歌、カブトガニの唄・・・
 
   
 
- 歌謡曲 -
若しも月給が上がったら(名義:山野三郎)、麗人の唄(佐藤紅緑・原作の映画の主題歌)、
二人は若い、あゝそれなのに、花売り娘、
うちの女房にゃ髭がある、ホームラン・ブギ、
目ン無い千鳥、誰かさんと誰かさん、祖国の花、
勝利の日まで、ずずんとずずんと、黒いパイプ、
夢淡き東京、浅草の唄、長崎の鐘、
悲しくてやりきれない、泣いて泣いて、
ありがとう(TVドラマ「ありがとう」主題歌)、
ほんとかしらほんとかしら、わが母の姿は・・・
 
昭和28(1953)年に出版した童謡集『叱られ坊主』で翌年、第4回芸術選奨文部大臣賞を受賞。
以後は童謡の詩作に専念し、
昭和37(1962)年、レコード大賞童謡賞を受賞、
昭和38(1963)年、NHK放送文化賞受賞、
昭和41(1966)年、紫綬褒章受章、
昭和42(1967)年、日本作詩家協会会長に就任、
昭和44(1969)年、日本童謡協会会長に就任、
昭和46(1971)年、日本音楽著作権協会会長に就任、昭和48(1973)年、勲三等瑞宝章を受章した、
同年の11月13日に、心臓発作により、
70歳で死去しました。
 
 

作曲者 河村光陽

作曲者の河村光陽 (かわむら こうよう) は、
明治30年に福岡県の裕福な地主の家に
生まれました。
 
 
東京音楽学校で音楽教師を務めながら
自作曲を制作し発表しましたが、
1930年代に入ると、ポリドールや
キングレコード専属の作曲家となり、
音楽教師を辞めて作曲に専念。
累計で約千曲にも上る童謡を
後世に残しています。
主な代表作には「うれしいひなまつり」
「ほろほろ鳥」「かもめの水兵さん」
「赤い帽子白い帽子」などがあります。
その他、家族で音楽活動も多く行い、
長女の順子が歌唱、次女の陽子がピアノ、
三女の博子がヴァイオリンという編成の
ファミリーコンサートを開催しました。
 
 
昭和21(1946)年12月24日、胃潰瘍による
出血のために49歳で急死しました。
三姉妹はみな童謡歌手で、特に長女の
河村順子が歌った「かもめの水兵さん」は、
戦前・戦中の童謡SP盤で一番販売した作品
となりました。
昭和19年武蔵野音楽学校声楽科に入学。
音楽学校卒業後は、歌劇で再デビュー。
NHK「子供の時間」、ニッポン放送で
歌のお姉さんとして出演する傍ら、
童謡をレコーディングしたり、後には、
音楽指導も行いました。
平成元年『河村順子・童謡の歩みⅠ』、
平成三年『河村順子・童謡の歩みⅡ』を発売。
昭和60年、第15回日本童謡賞特別賞を受賞。
57年間にも渡る長い活動歴で吹き込んだ
童謡は約380曲になり、累計レコード売上が
1千万枚以上に達した業績を称えられ、
平成元(1989)年には『ギネスブック』に
登録されました。
 

「うれしいひなまつり」が
メキシコでカバーされる⁈


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童謡『うれしいひなまつり』を
何とメキシコのラテン音楽グループ
「ロス・パンチョス」
(Los PanchosまたはTrío los Panchos)が、
1960年代にカバーしています。
 
 
『Pobres Huerfanitos(悲しきみなしご)』
というタイトルです。
歌詞は違いますが、ギターで琴の音を再現し、
邦楽のような仕上がりになっています。
 
Pobres Huerfanitos
(悲しきみなしご)
 
Pobres huerfanitos
que no tienen sus papas
van llorando a solas
con su pena de orfandad
 かわいそうな孤児たちは
 両親のいない
 孤児になった悲しみに
 一人で泣いている
 
 
Pobres huerfanitos
que no saben donde van
solo se alegran
cuando viene Navidad
 かわいそうな孤児たち
 どこへ行くのかもわからない
 彼らはクリスマスが来る時だけ
 幸せになる
 
 
Unos juguetitos
que les dan de caridad
es lo que le alegra
su carita angelical
 慈善事業として贈られた
 小さなおもちゃが
 天使のような小さな顔を
 輝かせます
 
 
Llevan en sus rostros
una triste soledad
Porque no tienen
ni papa ni su mama
 彼らの顔には
 悲しい孤独が
 浮かんでいる
 父も母もいないから
*Google翻訳による
 
 
そんな縁でしょうか。
日本のテレビCM「森永チューインガム」に
外国人タレントとして初めて出演しています。
 


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また「ロス・パンチョス」は
日本公演を多数行ってもいて、
日本公演のためのオリジナル曲に
『その名はフジヤマ(Se llama Fujiyama)』が
あります。