「国譲り」に同意した大国主命は次のように言いました。
「私の子である二柱の神が同意したのなら、私もご命令に従い、背きません。
この葦原中国は、命令通りに差し上げましょう。
ただ、私の住まいを、天神の御子が帝位に昇られる壮大な宮殿のように、
大磐石に太い宮柱を立て、大空に棟木を高く上げてお作り下さり、
お祀り頂けるのであれば、私は片隅に隠れていましょう。
八重言代主神が天神の御子の先頭や殿(しんがり)となってお仕えするならば、
我が子の多くの神々も、皆従うでしょう。」と。
こうして、出雲の多芸志の小浜 (たぎしのおばま)に
天の御舎(あめのみあらか)が造られました。
水戸神の孫であるクシヤダマ神が料理人となって
天つ神のためにご馳走を作ろうと火を起こすため
燧臼(ひきりうす)と燧杵(ひきりぎね)を作って火を起こして、こう言いました。
「私が起こした火を、高天原の神産巣日神(かみむすび)が新しく住む住まいにまで
煙が届くように、底に深くの石まで焼き固まるまで、燃やしましょう。
丈夫に作った縄を打ち投げて釣りをする漁師が釣った 大きなスズキを、
さわさわと引き寄せて、料理を乗せる台がたわんでしまうほど大量の魚料理を
お供えしましょう。」
こうして建御雷之男神(たけみかずちのおのかみ)は、 高天原に還り昇って、
葦原中国の平定を天照大御神と高御産巣日神(たかみむすひのかみ)に申し上げました。