うまずたゆまず

コツコツと

須佐之男命の神裔

八岐大蛇を無事退治し、この出雲の地が気に入った須佐之男命は、
櫛名田比売(くしなだひめ)と住むための場所を探し、
出雲の「清」(すが)の地に辿り着きました。
この地は「須賀須賀斯」(すがすがしい)とも言い、
須佐之男命はこの地で「私の心は清々しい。」と言いました。
そして、この地に宮殿を建てると、盛んに雲が立ち上ったので、歌を一つ読みました。
 「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠(ご)みに 八重垣作る その八重垣を」
 
これは、日本で初めて詠まれた和歌として神話に残されています。
また、ここから「八雲」は出雲を象徴する言葉ともなりました。
 
須佐之男命と櫛名田比売の間には、
「八島士奴美神」(やしまじぬみのかみ)が誕生しました。
須佐之男命はまた、大山津見神の娘であり、櫛名田比売にとっては叔母に当たる
神大市比売(かむおおいちひめ)とも結ばれ、
大年神(おおとしのかみ)と宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の2柱が誕生しています。
そして子孫に大国主命(おおくにぬしのみこと)がいます。
 
須佐之男命は櫛名田比売の父神・足名椎命を呼び、宮の首長に任じて
「稲田宮主須賀之八耳神」(いなだのみやぬしすがのやつみみのかみ)という名を与えました。
 
 
その後、須佐之男命は「韓国(からくに)の島には金銀がある。
もし、わが子の治める国に舟がなかったら困るだろう。」と言い、
自らの毛を放って多くの木々を生み出しました。
まず、髭を抜いて放つと「松」が生まれ、胸毛を抜いて放つと「檜」が生まれ、
眉毛を抜いて放つと「樟」(くすのき)が生まれ、
尻毛を抜いて放つと「槙」(まき)(かや)が生まれました。
そして、その木々それぞれの用途を定めて、こう言いました。
「杉と樟、この二つの木で舟を造るのがよい。檜は宮殿を造る木にするのがよい。
 槙は現世の人民の寝棺を作るのによい。そのための沢山の木の種子を皆で蒔こう。」
 
なお、須佐之男命の子の「五十猛神」(いそたける)は、
天降った時に多くの木々の種を持っていたのですが、
新羅には植えずに全てを持ってきて、九州から本州の国中に植えたので、
青山に被われる国となったと言われています。
このことから、「五十猛神」(いそたける)は林業の神様であり、
今は紀伊国(きいのくに)に座しています。
 
 
その後、須佐之男命は「熊成峯」(くまなりのみね)にしばらく留まっていましたが、
遂に根の国に旅立ちました。
 

f:id:linderabella:20210226164459j:plain