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旧暦(太陰太陽暦)

現在、日本で使われている暦は、
太陽の動きを基にして作られているため、太陽暦と呼ばれます。
 

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明治5(1872)年12月2日迄は、「旧暦」が使われていました。
日本の「旧暦」は、月の満ち欠けを基に、
季節を表す太陽の動きを加味して作られた「太陰太陽暦」が使われていました。
 
一口に「太陰太陽暦」と言っても、
歴史の中ではたくさんの暦法(計算の規則)が使われてきましたが、
太陽暦」への改暦の直前に使われていた「天保暦」と呼ばれる暦法のことを、
一般には「旧暦」と呼んでいます。
 

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太陰暦」は、立春一回新月を元日として、
月の満ち欠け(新月を1日として、次の新月迄を1カ月とする)を
基準にした暦法です。
ですから、「三日月」は3日、「満月」は15日(十五夜)といった具合に、
日付と月の満ち欠けに対する呼び名が一致します。
 

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しかし、月の満ち欠けの周期は「29.53059日」ですから、
12カ月では、ほぼ「354日」にしかならず、
本来の1年の日数である365日よりも11日間も短くなります。
3年経つと1カ月程短くなりますから、暦と季節がズレてしまいます。
 
そのズレを解消するために、
19年に7度、「閏月」(うるうづき)「閏月」を作り、
1年、13ヶ月となる年を設けました。
これによって、暦と季節の関係を調整した訳です。
 
🌞 太陽暦の19年
       = 1太陽年 365.24219日×19
       =6939.602日

🌕 月の満ち欠け235回分
       =1朔望月 29.530589日×235
       =6939.688日
🌕 235朔望月 =12朔望月×19年+7朔望
 
 
現在、「閏年」とは、2月が29日まであり、1年が366日となる年を言います。
一方、「旧暦」では、「閏月の入る年」を「閏年」と言いました。
「閏月の入らない普通の年(平年)」は1年が353日~355日で、
閏年」は384~385日になりました。
 
ところで、「閏月」の入る月についてですが、これはちょっと複雑になります。
二十四節気」には各々、
「節」「中」という2つの符号が「立春」から「大寒」まで交互に割り振られ、
「節」は季節を分けるもの、「中」は「月名」を定めるものとされています。
 
「節」は「節気」とも言い、その季節を表します。
春夏秋冬はそれぞれ「立春」「立夏」「立秋」「立冬」に当たる日から始まります。
そして各季節は更に「初」「仲」「晩」の三つの候に分かれ、
その期間は、節から次の節までという区分になります。
例えば「春」は「立春」から「立夏」の前日までで、
「初春」は「立春」から「啓蟄」前日まで、
「仲春」は「啓蟄」から「清明」前日まで、
「晩春」は「清明」から「立夏」前日まで、という区分になります。
「中」は「中気」とも言い、
のほうは、たとえば雨水を含む月は雨水=正月中なので正月(一月)、春分を含む月は春分=二月中なので二月、というふうに二十四節気に配当された「〇月中」の「〇月」部がそのまま月名になる。
 
 
但し、「中」から次の「中」までの間隔は朔望月約29.5日より少し長いため、
たまに中を含まない月、すなわち月名を決定出来ない月が出来てしまいます。
その月が「閏月」です。
例えば、4月の翌月が「中」を含まない月だとすれば、
その月を「閏4月」(うるうしがつ)と呼び、その翌月が5月になるのです。
但し、「中」から次の「中」までの長さは一定ではないため、
稀にひと月に「中」が2つ入る事態が起きてしまいます。
そこで「冬至」を含む月を11月、「春分」を含む月を2月、
夏至」を含む月を5月、「秋分」を含む月を8月とするルールが加えられました。
仮にひと月に「冬至」と「大寒」という2つの「中」が含まれるような場合でも、
月名決定には「冬至」が優先されて、その月は11月となりました。
 
 
直近の例では、令和2年4月と五月の間に「閏4月」が挿入されました。
5月22日は旧4月30日に当たります。
翌5月23日(旧閏4月1日)から「閏月」で、閏4月2日、閏4月3日…29日まで続きます。
そして6月21日から、旧5月1日、2日、3日…となります。
 
次に閏月のある年は令和五年(2023)です。
3月21日は旧2月30日に当たり、
3月22日(旧閏2月1日)から「閏月」で、閏2月2日、閏2月3日…29日まで。
そして翌4月20日から、旧3月1日、2日、3日…となります。
 
 
 
明治時代に「太陰太陽暦」から「太陽暦」に変わったことで、
古くからの年中行事と暦との間にズレが生じました。