「神無月(旧暦十月)」には、
日本中の神々が出雲大社に集まり、
一か月に渡り御相談をなさった後、
再び諸国のそれぞれの御社にお戻りに
なります。
神無月(かんなづき)
「神無月」(かんなづき) は、
旧暦十月(新暦十一月)の異称です。
旧暦十月の「神無月」には、
日本中の神々が出雲大社に集い、
一か月に渡り、農業や男女の縁結びについて
「神議り」(かみはかり) をして決められると
信じられてきたことから名付けられました。
神在月(かみありづき)
逆に出雲では神が集うということで、
「神在月」(かみありづき) と呼ばれています。
神在祭(かみありまつり)
諸国の神々が出雲に集まるのを迎えて、
もてなすための神事が行われています。
以前は、祭礼期間の15日間、
出雲国内の神社における神事を停止し、
神職以下は物忌みに服したので
「御忌祭」(おいみまつり) とも言われます。
縁結び
集合した神々は談合を意味する
「神議り」(かみはかり) をすると言われ、
その内容は主に「縁結び」であると
言われています。
『出雲国大社八百万神達縁結給図』
(やおよろずのかみたちえんむすびたまわうのず) には、
社殿で忙しそうに仕事をしている神々が
描かれています。
上座に座る神が御札に名前を書き入れ、
別の神がそれに赤い糸を付けて中央に運べば、
中央では数人の神々が会議を開いて、
御札と御札を結びつけています。
またその傍らでは、別の神が記帳したり、
ソロバンを弾いたりと大量の案件を
次々とこなしています。
出雲信仰
「神在月」という語が文献上に出てくるのは
大体、室町時代からです。
後花園天皇の実父・伏見宮貞成親王の日記
『看聞日記』(かんもんにっき) の
応永32(1425)年10月30日の条に出て以来、
文献にしきりと登場している他、
民俗としても現在なお全国に及んでいます。
これは、中世の末頃から活発化した
出雲大社の 「御師」 (おし) の行動に負うところも
少なくなかったようです。
天正19(1591)年、毛利輝元は朝鮮出兵に備え、
出雲大社の社領を大幅に削減しました。
そこで出雲大社では財政再建のために
中官級の神主を「御師」(おし) として全国に派遣、
彼らはそこで御札を配り、祈祷や講話などをし
その御神徳を全国津々浦々に広め、
収入を得るようになりました。
やがて、全国各地に「出雲講」などと呼ばれる
出雲信仰の組織が生まれると、
社寺へ参詣する者や信者の為に
祈祷や案内、宿泊などの世話をするようにも
なりました。
明治の初め、「出雲大社敬神講」を結成。
戦後の昭和21(1946)年、
「神道大社教」は「出雲大社教」と改称し、
更に昭和26(1951)年には「出雲大社教」と
呼び名を改め、今日に至っています。
神等去出神事
(からさでしんじ)
出雲地方の神社では「神在祭」の最後の日に
出雲大社では旧暦10月17日の夕方に、
迎えた神々を諸国に送り出す神事が
行われます。
その後も神々は出雲国内に滞在し、
26日の 「第二神等去出祭」 で諸国に帰られます。
30日にも、残っていた神々を送り出すために、
同じ神事が行われます。
神去来(かみきょらい)
「神去来」(かみきょらい) の信仰とは、
山の神様が種を抱えて里に降り立ち、
田の神となってその年の豊作をもたらし、
秋に収穫を見届けた後、山の住処に戻って
山の神になるという信仰です。
行き先を「出雲」と言い始めたのは、
「出雲信仰」と結び付いた結果です。
「神送り」「神迎え」
(かみおくり)(かみむかえ)
旧暦十月に全国の神々が出雲に集まるとされ、
そのため日本各地では、
出発の日には「神送り」「お上り」、
帰還の日には「神迎え」「お下り」などと
称する神事が行われます。
「神送り」「神迎え」は、
9月下旬から11月まで
村々によって少しずつの違いがあり、
出雲での滞在期間も一様ではありません。
これは地方によって収穫祭の時期が異なり、
あるいは重複して行われるためと思われます。
なお9月末を「神送り」、10月末「神迎え」する例が多いようです。
神送り(かみおくり)
出雲に旅立つ神を送り出すこと、
神を送り出す行事の事を
「神送り」 (かみおくり) と言います。
旅立ちの日には、
餅を搗き、団子や小豆粥を作って
神にお供えしました。
神様が旅立つ前後の頃には、
大風や暴風がしばしば起こるため、
人々はこれを神の霊威と考え、
「神渡し」(かみわたし) と呼んで畏れました。
神迎え(かみむかえ)
出雲国に参集した諸国の神々が、
一か月間の神議り (かみはかり) を終えて、
また元のそれぞれの社に帰るのを
お迎えする祭事や行事を
「神迎え」 (かみむかえ) と言います。
九州北部や四国の海岸地方では、
10月29日を「神戻し」(かみもどし) と呼んで、
その日は風の吹く日と言われています。
留守神(るすがみ)
留守神(るすがみ)とは
神無月(旧暦十月)は、
諸国の神々が出雲へ向けて旅立つために、
神社では神が不在になります。
神が出発する日も帰還の日も
村々によって少しずつの違いがあり、
滞在期間も一様でなく
2ヵ月に渡って不在の神もあります。
そのため、この不在期間を不安に感じ、
「留守神」という概念が考え出されました。
「留守神」は地域によって様々ですが、
一般には、竈神(荒神)、恵比須、大黒神、
亥の子神、道祖神、金比羅様などが多いです。
これらの神は、
家屋に定着した家を守る神々で、
家を空けられないために
留守役を勤めると言われています。
恵比寿講(えびすこう)
関東など東日本では、
恵比寿が「留守神」(るすがみ) の代表格です。
恵比寿が「留守神」になった理由については、
恵比寿様が出雲に行った時に
食べた餅が余りに美味しくて、
これを盗み帰ったため、
それ以来出雲に行きづらくなったという話を
伝える地域もあります。
そんな恵比寿様をお祭する「恵比寿講」が
全国的に様々な形で行われています。
恵比寿様は、元は、漁村で
「漁業航海の神」として信仰されていましたが
室町時代からは商家において
「商売繁盛の神」として信仰され、
更に江戸時代からは、農村でも
「豊作の神」として祈願されるようになり、
新米の飯や鯛、ご馳走、菓子を供えたり、
酒宴を開いたり、大売り出しをしたりと、
現在でも様々な風習が残っています。
神荒(かみあれ)
10月に吹く風を「神渡し」「神送り風」、
10月29日に吹く風を「神戻し」などと言って、
「神送り」「神迎え」の神祭りの前後には
暴風雨や嵐があるという伝承があります。
「神送り」「神迎え」には、餅を搗き、
団子や小豆粥を使って神に供えるのは、
清めのためと説明されてもいますが、
この嵐を防ぐためとも言われています。
これは、12月8日や2月8日の
「事八日(事始め・事納め)」など
神去来の期日の嵐の伝承や物忌の習俗と
共通するものです。